第一章 暴かれる真実

眠れる神を屠りしもの 1

【2】
 伯母がうなずくのを見て、ラザレスは更に問い返した。
「それで、伯母上はどうしたいと?」
『正直、迷っています。……真実を、世界に向けて公表するべきかもしれない、とも思うのです』
 ラナの答えに、彼は目を見張った。
「……真実を告げたとして、どうなるって言うんですか」
 ややあって彼は、低い声で返す。
「たしかに、伯母上やライリアの首相だけで隠し通すには、大きすぎる秘密だとは俺も思います。だが、世界に向けて公表するには、衝撃が大きすぎる。テレンス・リリシアの声明だけでも、世界を驚かせるには充分だったのに。いや、それでもまだ、あれは直接人々の生活には、関係のない話だったから、嘘に違いないと笑ってすませることもできた。けど、これはそうじゃない。下手をすれば、世界中が恐慌状態に陥ります」
『私も、それはそうだと思います』
 ラナは、画面の向こうでわずかにその白い面をゆがめて言った。
『けれど、事情がわかれば、対処方法も見つかるかもしれません。ライリアでは、妖魔化の進行を抑える方法が開発されていますし、ワクチンの開発も、各国が力を合わせれば、アニエス商会やルーフだけで事を進めるよりも、きっとずっとさまざまな知恵や技術が持ち寄られるだろうと思うのです』
「それはそうかもしれませんが……でも、伯母上。誰もがこんな話を聞かされて、理性的にふるまえるとは、俺にはとても思えません。殊に、ごく一般の人々は、専門的な知識などもさほどありません。流された情報をどこまで汲み取って咀嚼できるか、理解できるかは、わからないじゃないですか」
 ラザレスは言って、改めてかぶりをふる。
「伯母上、どうか、それについてはご配慮を。事実を告げるのであればせめて、各国の元首たちだけに限るなど、情報公開の範囲に制限をつけるべきです。でなければ、世界は逆に恐慌状態に陥り、そのために自滅する可能性もあると、オレには思えます」
 言われて彼女は、画面の向こうで静かに考え込んだ。が、やがて小さくうなずく。
『たしかに、あなたの言うとおり、世界に向けてこの情報を公開するのは、リスクが大きすぎるかもしれませんね。ただ、国によっては、どうしてこんなことになるのかがわからず、ただただ恐怖と不安に怯えている人々もいます。そういう人々にとっては、真相を知ることは、少しは救いになるかもしれないと……そんなふうにも思えたのです』
 言って彼女は、安心させるようにラザレスに微笑みかけた。
『そんな顔をしないでちょうだい、ラザレス。私には、いたずらに世界や人々を脅かそうというつもりは、少しもないのですからね。ただ、何をどうすることが、この世界にとって最もいいことなのか、どこまで真相を知らせればいいのかを、考えているだけなのですから。……この件については、あなたの意見も踏まえて、もう一度じっくりと考えてみます。今夜会って話せば、ルゾからもきっと、なんらかの意見が聞けるでしょうし……場合によっては、ルゾとランドルフ殿をお引き合わせして、意見交換することも考えていますから』
「それを聞いて、安心しました」
 ラザレスはようやく愁眉を開いて、笑いを浮かべる。そして、慌てて付け加えた。
「もちろん、伯母上とて熟慮の末のことであるとはわかっていますが……あまりに広範囲に影響を与えるだろう話だけに、俺も驚いてしまって……」
『いえ。私の方こそ、率直な意見をもらえてうれしいわ。……では、これで。また何かあったら、連絡をちょうだい』
「はい、伯母上」
 うなずくラザレスに再び微笑みかけて、画面の上からラナの姿は消えた。
 ラザレスも通信回線を切ると、通信ソフトを終了させ、小さく吐息をついた。
 改めてラフティとクライの二人から聞かされた話と、そして今伯母から聞かされた話を頭の中で反芻する。
 どちらも、この世界の趨勢に関わるような重大な話であり、そしておそらくは、これまでずっと歴史の闇の中に潜んでいたことが、にわかに著在化して来たのであろうことを証し立てるような話でもあった。
(世界は、大きく変わろうとしている)
 ふいに彼はそう感じて、小さく身を震わせた。そうして、そんな時に今自分がこの国の王であることにも、きっと何か意味があるのだろうと考える。
(それならそれで、俺は俺の役目を果たさないとな)
 胸に呟き、彼は立ち上がった。
 ラフティとクライの二人には、彼らが妖魔化・悪霊化についてどこまで何を知っているのかを問い質し、伯母から聞いた話を伝えなければならない。
 とはいえ、それができるのは夜になってからのことだろう。
 もともと、ラザレスが国民との謁見に使える時間は、そう長いものではなかった。長く話したとしても、せいぜいが一時間程度のものだ。
 だが、クライたちとの謁見は、その倍近くに及んでいたし、その後ルゾや伯母と話す時間をも無理矢理に捻出したため、彼の今日の予定にはすでに大きなしわ寄せが来てしまっている。
 それでなくても、彼は多忙なのだ。
 彼の父の下で政務に関わっていた者の多くは、十一年前のクーデターのおりに殺されてしまっている。生きてロドニウスの下で政務に就いていた者は、逆にラザレス自身が罷免したり、処刑したりしてしまって、今は城にはいない。
 むろん、災禍を逃れて他国に亡命していた政治家や、反政府軍に参加していた者たちもいるので、けして政務に関われる者がいないわけではなかった。けれど、やはり人材そのものが少なく、ラザレスが新たに登用した者の多くは若く、彼より多少年が上といった程度でしかない。
 おかげで彼は毎日、食事や寝る暇さえないほど忙しい日々を送っていた。
(なんとか、彼らと話す時間を捻り出さないとな)
 胸に呟き、小さな溜息を一つ落とすと、彼は部屋を出て行った。

 一方。
 ラナはラザレスとの通信を終えると、通信専用ブースを出て、中央殿の一画にある食堂へと向かい始めた。
 フラナガンの国主であり、ルーフの教母でもある彼女が住まうのは、フラナガン市の西に位置するカタリ湖の北側にある中洲島に建てられた大聖堂だった。
 ここは、ルーフ教の総本山であり、三百年前には聖女ジブリールが住んでいた場所でもある。
 中央殿と呼ばれる一番大きな棟と礼拝堂を中心に、いくつかの白亜の建物が並ぶそこは、緑に包まれた美しい場所でもあった。
 今の季節は木々には実が成って、葉は赤や黄色に色づき始め、なんとも豊かな風情を感じさせる。また、少し冷たくなった風には、どことなく懐かしさを感じさせる花の香りや、カーヴァーの豆を煎る匂い、菓子を焼く甘い香りなども入り混じる。
 その風景を見て、香りだけを嗅いでいれば、世界は何事もなく、温かで優しい事象にのみ包まれているかのようにも感じられた。
 つと、回廊に開いた窓から見えるそれらの風景と、流れ込んで来る香りに気づいて足を止めたラナは、思わず苦笑せずにはいられなかった。
(……世界はこのように美しく、実りの季節を迎えているというのに……私たち人間と来たら……)
 胸に呟き、彼女は低い吐息をつく。
 この世界は、これほど美しい場所だというのに、実際には一人の女の復讐を果たす力を得るための、実験場にすぎなかったというのだ。
 争いが絶えないのも道理、もとより争いの中から力を得ていくために作られた場だったのだから、しかたがない。
 その一方で、この星はまるでそのために造られた人間たちを拒絶するかのように、女とその仲間たちの血肉を受け継いだ者たちを異形の姿へと変えて行くのだ。
(これは、この星そのものが行っている、大規模な粛清なのかもしれませんね……)
 ふと、ラナはそんなふうにも思った。
 だが、たとえそうだとしても、ただ黙って異形の姿に変わり、互いに殺し合ったり狂い死にしたりばかりしているわけにもいかない。
 他の動物たちは知らず、人間とはそういうものだ。
 他の命を得なければ生きて行くことができないというのに、自分のそれに対しては命汚い。
 生きることに固執して、何が何でも生きようとする。
 だからこそ、これほどこの星に人が満ちあふれたのかもしれないけれど。
(それとも……これもまた、ライラなる女とその仲間たちが、自分たちのために付け加えた人の付加価値なのかしら?)
 ラナは小さく首をかしげて胸に呟き、再び回廊を歩き出した。
 なんにせよ、自分たちには今のこの事態をどうやってか収拾しなければならない義務がある。
 一国の元首としてはもちろん、世界の秘密を知ってしまった者としてもそれは、当然のことだと彼女は考えていた。
 やがて彼女は、食堂へとたどり着いた。
 軽く姿勢を正すと、彼女はドアを開けて中へと足を踏み入れる。
 そこは、食堂としてはごくこじんまりとした風情の一室で、奥の壁には巨大な風景画が掛けられており、その正面に長方形のテーブルが置かれていた。テーブルの周囲には、椅子が六つほど据えられている。
 テーブルの上にはむろん、糊の利いた白いテーブルクロスが掛けられ、中央には女性的な曲線を持つ細い花瓶に生けられて花が飾られ、その隣には装飾的な陶器に果物が盛られて置かれてあった。
 奥の風景画を背にしてしつらえられた席と、その向かいの最も入り口に近い席には、グラスやフォークなどが並べられており、そして入り口側の席には男が一人座していた。
「遅くなってしまって、申し訳ありません。ランドルフ殿」
 奥の席に歩み寄り、そこで足を止めてラナはまず一言詫びる。
「いえ。……私もこれで、ライリアの首相を務めた身です。上に立つ者が存外忙しいことは、骨身にしみて理解しておりますよ」
 男――ライリアの首相、ランドルフ・ボレロはそう言って笑った。
 五十代とおぼしい彼は、栗色の髪と同じ色の目をして、額には赤い六芒星の刺青「ルーフの印」を刻んでいる。そう、この男もまたルーフの信者なのだった。
「そう言っていただけると、ホッとしますわ」
 ラナは言って、席に着くとテーブルの上の鈴を鳴らす。
 彼女は、少し遅い昼食をランドルフと共に取りながら、今後のことなどを話そうと考えてこの会食を設定したのだった。
 ほどなく、給仕を務める尼僧らが料理の載ったワゴンを押して、室内に入って来た。
 テーブルの上には、子羊の肉を甘辛く煮込んだものや、とろりとしたクリーム色のスープ、焼きたての何種類かのパン、そして彩り良く盛り付けられたサラダなどが次々に並べられて行く。
 ワゴンの上のものが全てテーブルに移され、給仕の尼僧らが部屋の隅にひっそりと控えるのを待って、二人は食事を始めた。
 ラナは少し考えた後、先程ラザレスから聞いたラフティとクライがそれぞれの《天使》と共にアニエスにいるということと、なんのために彼らがそこを訪れたのかを告げた。
「……そうでしたか。私は残念ながら、まだ一度も女王の養い子殿に会ったことがないのですが……最後に女王に会うことができたとすれば、それは幸いでした。女王はいつもあの方のことを気にかけておりましたから……」
 黙って話を聞いた後、ランドルフは穏やかに返す。
「私は、以前にお会いしたことがありますわ。……なかなか、一筋縄では行かない御仁と見えましたが、自分が大切だと思うものに対しては、道理と情誼を尽くす方のようでもありました。おかげで、甥は国を取り戻し、アニエスの民は大いに溜飲を下げましたわ。そのことには、私も深く感謝しております」
 ラナもそれへ穏やかに微笑み返して、言った。
「あの方が、アニエスの政権交代に関与していたとは、知りませんでしたな」
 ランドルフは、驚いたように小さく目を見張る。
「つまり、四の月のあれには、エテメナンキが関係していたと?」
「さあ。私も、そこまでは。ただ……ラフティ殿は、傭兵として甥に雇われたのだと話していました」
 ラナは首をかしげて返した。
 ラフティの素性を、まったく知らなかったと言えば、嘘になる。
 四の月、反政府軍を率いて当時の王ロドニウスのいるアニエスの王城に奇襲をかけて失敗したラザレスが、彼女を頼ってここへ来た時、彼はラフティをマニ・アニエスの知人で自分が雇った傭兵だと紹介した。
 その紹介だけで、彼女はフラナガンに残された記録をたどり、ラフティが三百年前ライリアからの駐留軍の副司令官としてこの地に滞在していたことを知った。
 更に。その名前は、すぐにエテメナンキの《至高天》第四位たる人物とも結びつく。
 いかにフラナガンがエテメナンキを信仰しない地であるとはいえ、その国主ともなればエテメナンキの法王、大司祭、そして実質的な支配者である《至高天》の面々の名前ぐらいは知っていたためだ。
 とはいえさすがの彼女も、そんな立場にあるラフティが、なぜあの時《神の塔》を出て旅していて、ラザレスに味方してくれたのかは、知らなかった。
 ラザレスの戴冠式の後、彼女はラフティとアズラエル、当時は一緒だったカイエとネメシスの四人をこの大聖堂へ泊めたものの、結局、そうした立ち入ったことについては口に出すことをしなかったのである。
 よけいな詮索をするよりも、彼女はラフティたちを甥とアニエスの恩人としてもてなしたかったのだ。
 なので、ランドルフにも本当はどうだったのか、答えようがないのは本当のことだ。
 そんな彼女に、ランドルフは苦笑して言った。
「傭兵として雇われた、と。……なるほど。もしもエテメナンキが関係していたとしても、それを漏らすような方ではありますまいし、いかにもらしい話ですな」
 そうして彼は、ナイフで小さく切り取った皿の上の子羊の肉を口に入れる。ゆっくりと味わいながら咀嚼して、グラスに注がれたワインで喉を潤すと、話題を変えた。
「……ところで、ライリアの件に関する声明ですが、私としてはできるだけ早く発表する方がいいと考えているのです。各国に散ったライリアの民たちも、おそらくは祖国滅亡の噂を伝え聞き、不安に思っているに違いありませんからな」
「それはむろんですわ。ただ……」
 ラナもまた、ワインで喉を潤すと苦悩するかのように、わずかに眉根を寄せて返す。
「妖魔化・悪霊化の真相について、公表すべきか否か私はまだ迷っています。……これは、国家の重責を担う私たちのような者でさえ、聞けば驚かずにはいられない内容ですわ。ラザレスと話したおりにも、この件について告げたら、公表すべきではないと反対されました」
「たしかに、恐るべき真相ではありますからな」
 うなずいて、ランドルフは小さな吐息を漏らした。
「……発表すれば、世界中が恐慌状態に陥るだろうことは、想像に難くない。おそらく、あのテレンス・リリシアという少年の出した声明以上の恐怖を、人々に与えるに違いないでしょう」
「ええ……」
 言われてラナは、小さくうなずく。
 テレンスが世界に向けて発した、この星の本当の歴史は、人々を驚かせはしたものの、恐慌状態に陥らせるというところまでは行かなかった。
 それは一つには、発表された内容があまりに途方もなさすぎて、ごく普通の人々にとっては逆に真実味に欠けていたせいもあっただろう。
 信仰するしないに関わらず、エテメナンキの総本山である《神の塔》は、多くの人々にとっては遠い雲の上のような場所だ。そこで法王に仕え、エテメナンキの政務にも関わる《至高天》の者たちは、場合によっては各国の王侯貴族よりも遠い存在なのだ。
 それにもとより神話では、神エンリルが獣たちに「神の民」の血を分け与えて人間を作ったとされている。
 更に神話では、《至高天》とは神が眠りに就いた後、内輪の争いに勝った「七人の御使い」のうちの四人のことだと示されており、つまりは彼らが人類創造に関わっていたとしても、なんの不思議もないのだった。
 妖魔や悪霊がラボの実験の失敗によってできたものだとする話にしても、普通の人々には、今一つピンと来ない話だっただろう。
 最初こそ、各地の教会に真実か否かの答えを求めて殺到する者も多かったものの、今ではそうした者も減っている。ネット上で、文章や動画を使って自分の意見を発信し続けている人々の多くも、この声明については眉唾ものだと論じている者が多かった。
 殊に、エテメナンキが法王の名でテレンスの発言を否定する声明を出して以後は、「あれはルーフがエテメナンキを貶めるために出したものにすぎない」と声高に論ずる人々の数は増えていた。
 だが、妖魔化・悪霊化に関する真相は、そんなふうにはいかないだろう。
 どの国でも、それはひそやかに問題になりつつあることだったし、何より誰がいつ、どんな形でそうなるかわからないというのが人々に大きな恐怖感を与えることになるに違いなかった。
 そして、もしも妖魔になったとしたら、もう普通にくらして行くことはできなくなる。住む場所も追われ、仕事もなくなり、もしかしたら家族や友人からまで、妖魔として攻撃されるかもしれないのだ。
 少しでも想像力のある人間ならば、それを怖いと思わないはずがないだろう。
「ですが――」
 ランドルフは、静かな声で続ける。
「原因がわからないというのも、人間にとっては恐怖であり、不安をかきたてるものなのでしょう。我が国でも、妖魔化抑制装置――と我々は呼んでいましたが、ゲートジェネレーターの原理を応用したその装置が開発され、普及されるまでは、原因不明の病として処理され、それゆえに絶望して命を絶った者、あるいは近親者にその命を奪われた者は、少なくありませんでした」
「そう……そうでしょうね……」
 衝撃的な内容に目を見張りながらも、ラナは呟いた。
 ややあって、彼女は深い吐息をつく。
「私が、公表しないと決められないのも、それがあるせいですわ。この事実は、世界中を恐慌に陥れる一方で、原因不明の病と言われて不安に陥っている人々に安らぎを与えるかもしれない。それを思えば、ただ黙っていることもまた、ためらわれてしまうのです」
「……難しい問題ですからな。私たち施政者は、常にそうした局面に立たされ続けているわけですが、これはその中でも、特段に難しい選択だと私も思います」
 ランドルフは同情的に言って、安心させるように小さく笑いかけた。
「ですから、じっくりとお考えになればいい。女王は教母様に託すと言われた。それがどれほど重いものであるかは、私も理解しているつもりです。あなたがどのような結論を出そうとも、私はその意志に従いますよ。それこそがすなわち、女王の意志に従うということでもありますからね」
「そう言っていただけるのは、とても心強いことですわ。……とはいえ、実際には、私たちは何も知らなかったころには、戻れません。早晩、どうするか決めねばなりませんわ」
 ラナは感謝の意を示すように微笑み返しながらも、鎮痛な面持ちで告げる。そして、幾分ためらった後、尋ねた。
「もし――これが、ランドルフ殿に託されたことだとしたら、あなたはどうされますか?」
「私ですか。私ならば――」
 わずかに驚いたように目を見張ったものの、ランドルフにも彼女がそんなふうに問うて来るかもしれないと、予想はできていたのだろう。しばし考えを巡らせた後、言った。
「私ならば、事実を公表する方を選ぶでしょう。……もちろん、教母様と同じように迷い、悩みはするでしょうけれどもね」
「どうしてまた、そちらを?」
 ラナは、小さく目を見張って更に問う。
「そう……たしかに、これを公表すれば、世界はひどい恐慌状態に陥るでしょう。ましてや、我が国の民たちは、祖国を失い途方にくれている最中です。その上にこんな事実が公表されれば、どれほど衝撃を受けることか。……それでも、私はこの事実を公表するでしょう。私は、人々はそして我が同胞たちは、一時は恐慌状態に陥ったとしても、かならず立ち直り、現実を見据えて生きる方向を見出すと、そう信じているからです」
 穏やかに告げるランドルフを見やってラナは、その言葉の中に潜む強い意志に気づいた。
(この方は……)
 女王ネイジアが全てを自分に託したがゆえに、その意志を何よりも尊重して、己の考えを表には出さないように努めていたものの、実際にはけして何もかもをこちらに丸投げしてしまうようなつもりは、ないのだろうとラナは改めて思う。
 そんな彼女を、ランドルフのゆるぎのない目がまっすぐに見詰め返して来た。
(なんという、強い意志を持った人なのでしょう。……この方からしてみれば、ただ迷い、どうするべきか決めかねている私の態度は、歯がゆくさえ見えるかもしれませんね)
 胸に呟き、彼女はふと、この男の意志に賭けてみようかと思う。
 女王と国土を失ったライリアの、現在の実質的な最高責任者は、この男なのだ。いわば、彼こそが本当のネイジアの後継者だった。
 もちろん、妖魔化・悪霊化に関する真相は、ライリアだけの問題ではない。だからこそネイジアは、ランドルフではなくラナに、それを託したのだろう。
 けれども。
(ネイジア殿も、心の強い方でした。その方が、ライリアの民を託したこの方が選んだ道ならば……。事実が公表された後がどうなるか、さまざまな危惧はあるけれど、それでも……)
 ラナは再び胸に呟いた。
 それはある意味、自分が選ぶべき事柄を他人に任せてしまうずるいやり方でもあるかもしれない。
 それでも。
 ラナは、心を決めた。
「ランドルフ殿。……ライリア滅亡の真相を世界に告げるおりに、妖魔化・悪霊化の事実についても公表して下さい」
「教母様……」
 告げられた言葉に、ランドルフは思わず目を見張り、まじまじと彼女を見やった。
 それへ、ラナは小さく微笑みかける。
「このような重大な局面で、他人に頼らねばならないなど、国主としてはあまりにもふがいないと思われてもしかたがありませんね。でも私は……あなたのその強い意志と、人々への信頼に賭けてみようと思ったのです」
 言って、続けた。
「もちろん、事実の公表後は私もルーフの教母として、少しでも人々の衝撃が少なくてすむように、世界中の信者たちに呼びかけることにいたします。……他に、できることがあれば、それもいたしますわ」
「わかりました」
 それを聞いてランドルフも、彼女が本気なのだと察してうなずく。そして、相手を安心させるように、微笑みかけた。
 ラナもそれへ微笑み返すと、食事がすっかり中断してしまっていたことをようやく思い出したかのように、握ったままだったナイフとフォークを動かし始めるのだった。