第一章 暴かれる真実

眠れる神を屠りしもの 1

【3】
 クライとラフティの二人が、ラザレスと再び顔を合わせたのは、その夜遅く、すでに日付が変わるころあいだった。
 城内の一画にあるラザレスの居間で、彼らはマニとなった《天使》ケルピムを交えた四人で、酒を酌み交わしていた。
 最初はたわいのない互いの近況にも似たようなことなど話していたのだが、やがてラザレスがおもむろに口を開く。
「実は今日、伯母上とネットを介した通信で話したんだが――」
「あんたの伯母っていうと、フラナガンの国主でルーフの教母の……?」
 クライが、グラスを口に運ぶ手を止め、軽く眉をひそめて尋ねた。
「ああ」
 うなずくと彼は、幾分慎重に言葉を選びながら、昼間伯母から聞いた妖魔化・悪霊化の話と、その原因についてクライたちに話す。それが、この星を包む特殊な電磁波と、人々の中に潜む月の民の遺伝子のせいであることを。
 それを聞いて、クライとラフティは思わず顔を見合わせた。
「それじゃあ、あれも、そういうことだったのか……」
 呟いたのは、クライの方だ。
「なんだ? 何か心当たりがあるのか?」
 さっきから、黙ってラザレスの話を聞いていたマニが尋ねた。
「俺たちも、出会ったんだ。体が妖魔化している悪霊ってやつにさ」
 言ってクライは、その時のことを思い出して、小さく顔をしかめる。
「最初に出会ったのは、カナン大陸だ。鳥と人間を合わせたような姿で、俺たちを襲って来た」
「連中のおかげで、《神の塔》から来た部隊が一つ、全滅したんですよ」
 ラフティがそれを補足するように言って、小さく肩をすくめた。
「その後、私たちはレム・ラス大陸でも同じようなものに出会いました。……大きな集落一つが、妖魔化した人間と、妖魔化した上で悪霊化した人間に別れて争っていましてね。生き残った者に話を聞くことができましたが……妖魔化は伝染病のように突然始まって、次々に広まって行ったようですね。しかも、妖魔化した人間が死ぬと、そのまま悪霊と化して、生きている者たちを襲ったようです」
「悪霊化した人間は、死んでるはずなのに、見る間に体が妖魔と化して行ってた。あれは、なんともいえない光景だったな」
 クライは、レム・ラス大陸で見た光景を思い出し、更に顔をしかめて告げる。
「そんなことがあったのか……」
 ラザレスが軽く目を見張り、驚きと共に呟いた。
「そいつはなんとも、ぞっとしない話だな」
 マニも、顔をしかめて返す。
「ああ。だが、俺たちは、辺境を離れるまでずっと、その連中に追いかけ回されたんだぜ。もっとも、おかげでラフティとの無駄な戦いが回避されたんだから、その点はありがたかったがな」
 クライはうんざりした顔で言いながらも、口元を小さくゆがめてみせた。
「それはそうですねぇ。連中がやって来なかったら、私たちは本気で戦っていて、もしかしたら女王から連絡が来た時はもう、どっちも動けない状態だったとかってあり得そうですものね」
 ラフティが、冗談とも本気ともつかない口調で言って笑う。
「おいおい。そりゃ、笑いごっちゃないぞ」
 たちまち、マニが渋い顔になった。
 彼にしてみれば、どんな事情があろうと、この二人が本気で戦うなど、考えたくもない話なのだろう。
「でもあの時は、まさかこんなふうに笑って話せるようになるなんて、思ってもいなかったですからね」
 それへラフティが言って、肩をすくめてみせる。
 そんな彼らのやりとりに、ラザレスは小さく苦笑して口を挟んだ。
「でも、ということはあんたらも原因そのものは、まだ知らなかったってわけか」
「ええ。……カナン大陸でそれと出会った時には、ライラたちもまだ何も知らないようでしたからね。私は当然、ライラに全て報告しましたが、その時には彼女も驚いていましたから」
 うなずいて言うと、ラフティは手にしたグラスを口に運ぶ。
「だが、あれからもうずいぶん経ってるからな。もう、ライラたちも原因にはたどり着いてるんじゃないのか?」
 それをちらと見やってクライが問う。
「その可能性はあるでしょうね。エテメナンキはそれを国教とする各国の政府ともつながっていますし、高度の情報収集能力を持っています。それに、ラボの技術力ならば、データさえそろえば原因の究明はそう難しくはないでしょう」
 ラフティもうなずいて言った。
「そういえば……グラディアスもクラリスにいた間に、妖魔化した人間と遭遇しているはずだぞ」
 それへわずかに顔をしかめて、思い出したようにマニが言う。
「どういうことだ?」
 問い返すクライに、マニは答えた。
「八の月にクラリスの皇帝が死んで、皇太子が新たな皇帝として即位した。その戴冠式のためにグラディアスは、クラリスの都クラレシアへ行き、俺の姉貴の子孫であるルゾとレマの二人と会った――って話は、昼間しただろ? どうやら、二人と市内の高級レストランで会食して城へ戻る途中で、妖魔化した人間たちに襲われたらしい。連中は、テレンス・リリシアの声明を聞いて、自分たちの妖魔化がエテメナンキのせいだと思ったようだな。それで、大司祭を襲った……と」
「気持ちはわからなくもないが、ばかな話だな。グラディアスを襲ったところで、どうなるものでもないだろう。それに、どうせガブリエルがあっという間に撃退して、グラディアスは傷一つ負ってないって寸法だろう?」
 話を聞いて、クライは小さく肩をすくめて返す。
「そのとおりだ。……連中はかなりの人数だったらしいが、まったく歯が立たなかったそうだ」
 うなずいて言うマニに、ラフティが軽く首をかしげて問うた。
「それにしても、マニ殿はどこからそんな情報を?」
「ルゾ・アニエスからだ。……クラリスの新皇帝は、ずいぶんとルゾを気に入っているらしい。そもそも、グラディアスとルゾを引き合わせたのも、彼だという話だしな。グラディアスが《神の塔》に戻った後、しばらくして皇帝と会ったら、そんな話を聞かされたとルゾが言っていたよ」
 マニは、小さく苦笑して答える。
 エテメナンキとは表裏一体の関係であるクラリスの皇帝が、ルーフと深いつながりのあるアニエス商会の会長と懇意だという事実が、彼には面白くもあり、皮肉にも感じられるのだろう。
「なるほど。……ですが、そんな事実があるとすれば、なおさら《神の塔》でも、原因に気づいていると考えていいでしょうね。実際にグラディアス殿がそうしたものに遭遇したのならば、クラリスから何か、原因究明に役立つデータを持ち帰ったという可能性もありますからね」
 彼の答えにうなずいて言うと、ラフティはどことなく難しい顔で考え込んだ。
「どうしたんだ? 何か気になることでもあるのか」
 それに気づいて尋ねるクライに、ラフティは顔を上げて小さく口元をゆがめる。
「この事実を知って、ライラがどう動くだろうかと思ったのですよ。……これまでなら、リリスとイーヴァにワクチンを作るよう命じるでしょう。でも、今は……」
「そんなふうには、考えない――と?」
 彼が濁した言葉の先を、クライは眉をひそめて問いかけた。
「エデン号は、もうそろそろ自己修復が終わり、駆動可能になると、以前に彼女から聞いたことがあります」
 それには答えず、ラフティは言った。
「それに、首相が今回のライリア滅亡に至る真相を世界に向けて公表すれば、エテメナンキは今度こそ人々の非難の矢面に立つことになるでしょう。その結果、再び世界を二分する争いが起こる可能性もあります。ですが、このまま妖魔化・悪霊化の波が大きくなれば、その争いそのものは鎮静化するかもしれません。そしてどちらにしても、この星を見捨てて母星へ向かうライラにとっては、それはどうでもいいことです」
「……そうか。それに、エデン号を始動させるために、この星が枯渇するほどエーテルが必要なのなら、そこに住む人類に斟酌してはいられない――つまり、妖魔化しようが、暴動が起ころうが、見捨てて立ち去る腹づもりってわけか……」
 クライも、改めて憮然とした顔になりながら、ラフティが言わんとするところを理解して呟く。
「それが本当なら、まったく冗談じゃないぞ」
 幾分青ざめながらも口を挟んだのは、黙って彼らの話を聞いていたラザレスだった。
「ああ、まったくだ。だが……この二人がそう言うんだ。冗談でも脅しでもなく、本当なんだろう」
 マニが言って、尋ねるようにクライとラフティを見やる。
「残念ながら、本当だ。俺たちもこれで三百年、あの女とつきあって来た。あの女は実際、自分の復讐のためだけに動いている。その考えを、今更変えるなんてことは、あり得ないだろう」
 それへ答えてクライは、グラスの中身を大きくあおった。空になったグラスをいささか乱暴にテーブルに置くと、険しい顔で続ける。
「あの女を止めるつもりなら、俺たちもできるだけ早く、この先どう動くかを決めた方がいい。エデン号自体の状態にもよるだろうが、今の世界の状況は、あの女に母星へ向かうことを急がせるだけのように俺には思える」
「そのようですね。ですが……」
 うなずいて、ラフティがつと言葉を途切れさせた。
「問題は、この事実が発表されるか否か、だな」
 マニがその後を引き取るように言って、ラザレスを見やる。
 その視線の意味を悟って、ラザレスは小さく肩をすくめた。
「伯母上は、世界に悪戯に恐慌状態を起こす気はないとは、言っていました。ですが……どんな決断を下すかまでは、わかりません」
「……だよなあ。彼女には彼女の考えってもんがあるだろうからなあ」
 マニは参ったと言いたげにぼやいて、小さく吐息をついた。そのまま、自分のグラスを口元にあてて中身をちびちびと舐めながら、何事か考え込む様子だった。が、ややあってグラスをテーブルに置くと、全員を見回した。
「その件は別にして、とにかく俺たちの方は味方になりそうな奴を、集めてみようじゃないか。できるだけ早く、このニエベスに協力してくれそうな国の元首を招集してまずは事実を伝え、世界規模で事態に当たれるような体制を整えるんだ」
「それが妥当なところでしょうね。……声をかけるのは、ライリア首相と教母様の他は、西ゲヘナとマリアぐらいですか」
 ラフティが、これも幾分考え込みながらうなずいて返す。
「ああ。西ゲヘナとマリアは、同盟国でもあるし、国教をルーフに指定してもいる。事実を知れば驚きはするだろうが、エテメナンキを絶対的に信仰している者たちよりは、受け入れやすいようにも思う」
 マニはそれへ言って、ラザレスを見やった。
「わかりました。俺から直接、西ゲヘナの大統領とマリアの大公に、話をふってみます」
 ラザレスがうなずく。そして、小さく苦笑して付け加えた。
「ネットを介して会談を持つという方法もありますが……内容が内容だけに、実際に会って話す方がいいでしょうね。その方が、部外者に漏れる心配も少ないですし」
「むろんだ」
 当然だろうと言いたげにうなずき返して、マニは言う。
「ネットを介した通信網は便利だが、本当に理を尽くして他人と話したい時には、やはり実際に会うに限る。ましてや、今のように信じがたい事実を告げて、協力を仰ぎたい時にはな」
 それを聞いて、クライは少しだけ驚いたように目を見張った。
 彼の知っていたマニは、たしかに人の上に立つだけの器を備えた男だったが、そのころよりも更に器量が大きくなっているように感じたのだ。
 ラフティも同じだったのか、わずかに目を丸くした後、クスクスと笑って告げる。
「さすがに、一国の王となった人は違いますね」
「茶化さないで下さいよ、クワイアス殿」
 マニはからかわれたと思ったのか、わずかに赤くなって返す。
「いえいえ。茶化すなんてとんでもない。感心したのですよ。……本当に、あなたの言うとおりです」
 ラフティは笑って言葉を継いだが、最後の方はごく真面目な顔になっていた。
「人というのは不思議なもので、同じことを話すにしても、実際に顔を合わせる方が、こちらの気持ちは伝わりやすいようです。……つまりは、人と人のコミュニケーションはただ言葉や表情のみで行われているわけではない、ということなのでしょうね」
「ええ。……とにかく、自分たちのできることを、始めてみましょう」
 マニはうなずき、改めて覚悟を決めるかのように言った。

 ランドルフ・ボレロがフラナガンから世界に向けて、声明を発したのはその翌日の午後遅くのことだった。
 彼はその声明の中で、ライリアがほんの数時間で海底に没し、事実上滅んだことを告げ、そうなった原因について語った。
 元レムリア王国の女王であり、ライリアの女王でもあったネイジアが、エテメナンキの《至高天》の面々と共にはるか一万年前にこの星を訪れた異星人であったこと。だが、内部抗争の末に二度と逆らわないよう、ライリアの都市機能を維持している巨大ジェネレーターの制御用コンピューターとその命を連動させられ、これまでレムリア及びライリアの女王として生きて来たこと。けれど今回、ネイジアの上に突然の死の影が訪れ、そこでランドルフ自身も初めて彼女から全てを明かされたこと。そして、彼女の命令に従って、国が滅ぶ前に民たちを各国に避難させたことなどを。
 その全てを淡々と語った後、彼は続けた。
『各国に散った、我が同胞たちよ。どうか、私のついた嘘を許してほしい。諸君らが慌て怯えることなく、祖国を後にすることが何よりの急務であったため、私はライリアのメンテナンスなどという話をでっち上げたのだ。女王は崩御され、祖国は海に沈んだ。諸君らはこれより、移住した土地で新しい日々を送って行くことになる。それについては、できるだけ不自由がないように、諸君らを受け入れてくれた各国の外務省とも図りながら支援して行く所存なので、安心してほしい。そして、忘れないでおいてほしいのは、たとえ祖国がなくなっても、諸君らはライリアの民であるということだ。そのことを誇りとして、これから新たな土地での日々を生きて行ってほしいと思う。以上だ』
 クライとラフティはその声明を、クライに与えられた部屋の居間に設置された大型のテレビで見聞きした。
「それにしても……ごまかすことなく、最初から全部説明するとは、思い切ったもんだな」
 突然画面に割り込んで来た声明の放送が終わり、画面が再び最初に見ていたニュース番組に戻ると、クライはリモコンでスイッチをオフにした後、小さな吐息と共に呟く。
「そうですね。でも、こんな人だからこそ、女王も後を託したのでしょう」
 ラフティはうなずいて、小さく苦笑した。そして、軽く眉をひそめて付け加える。
「それはともかく、妖魔化・悪霊化の件にはまったく触れませんでしたね」
「ああ。……発表しない方向で、教母が心を決めたのかもしれないな」
 クライは言って、肩をすくめた。
「もっとも、今の話だけでも、そうとうな騒ぎにはなるんじゃないのか。ライリアの滅亡自体、まだ噂でしかなかったわけだしな。その上、この話はテレンスの声明が事実だと裏付ける内容を含んでいる」
「ええ。きっと、各教会や《神の塔》には、再び問い合わせが殺到することでしょうね」
 言ってラフティは、口元に薄い笑みを浮かべると、座っていたソファの背もたれに、深く身をあずけた。
「事実が次々と明るみに出て、世界は隠されていた顔をあらわにしようとしている――といったところですか。いわば、ライリアと女王はそのための生贄だったのかもしれませんね」
「ラフティ?」
 そんな彼をクライは、怪訝な顔で見やる。
「いえ。……実際に女王の死にも立会い、祖国が沈むのもこの目で見届けたのに、どういうわけか今の声明を聞いて改めて思ってしまったんですよ。私の帰るべきところは、もうないのだ――と」
 ラフティは目を閉じて、ソファの背に身をあずけたまま、どこか独り言のように言った。
「私の帰るべきところ、守るべきものは、もうないのだと。……己の意志を枉げ、かつて守ると誓ったあなたと戦っても守り抜くつもりだった場所は、もうないのだと――」
「ラフティ……」
 静かに、ただ淡々と呟かれる言葉の中に、深い悲しみと喪失感が含まれているのに気づいて、クライは一瞬、かける言葉を失う。
 大切なものを失うのが、どれほど強い無力感と衝撃と、脱力感を伴うものなのかを、クライはよく知っていた。
 三百年もの時を生きても、彼の中では母を失った日のことも、ジブリールが長い眠りに就いた日のことも、そしてヘンリーを失った日のことも、けして色褪せてはいないのだから。
 もちろんそれは、祖国という自らの足場を失うこととはまた違う。けれど、遠くかけ離れた感情ではないだろうと、彼は思うのだ。
「ラフティ……」
 ややあって、クライは再びその名を呼ぶと、言った。
「こんなこと言うのは俺の柄じゃないし、それが祖国のかわりになるとも思わないが――いつか、フラナガンでくらそうぜ。その……俺も、一緒に行くからさ」
 その言葉に、ラフティは驚いたように目を開けると、身を起こす。
「これはこれは。ずいぶんと意外な言葉を聞くものですね。……たしかに私にとってあそこは、思い出深い場所ですし、あなたが一緒にいてくれるというなら、フラナガン以外の場所でも全然かまいませんけれど」
 いったい、どういう風の吹き回しですか? と問いたげに顔を覗き込まれて、クライは思わずそっぽを向いた。
「別に……俺にとったら、あそこは生まれ故郷なわけだし、ちょっと思いついただけだ」
「思いついただけ、ねぇ」
 ラフティは言って、楽しげに笑う。
「たとえただの思いつきでも、うれしいですよ。……私を、慰めようとしてくれたのでしょう? ありがとうございます」
 ふわりとクライの両の肩に腕が回され、外見よりはずっとがっしりとした上半身が寄りかかって来た。かすかに香る芳香は、クライにとっては嗅ぎ慣れた、そしてどこか懐かしさを感じさせるものだ。
 思いがけない相手の反応とその香りに、クライは何を言っていいかわからず、少しだけ困ったように目を見張った。だが、すぐに小さく吐息をついて、苦笑する。
「ああ」
 曖昧にうなずいてクライは、ただ相手のなすにまかせるのだった。