第二章 塔の中の嵐

眠れる神を屠りしもの 1

【1】
 ランドルフ・ボレロの発した声明は、世界中の人々を驚かせたが、それは《神の塔》の一画にあっても同じだった。いや、おそらく彼女の驚きは、ライリアとも《神の塔》とも関係のない人々以上のものがあっただろう。
 カイエはその日、自分の部屋でネットのテレビで配信されている映画を見ていた。
 本来は十七歳になる彼女だったが、《織天使》ネメシスの主となることで遺伝子が変質し、老化が通常より遅くなっているためか、一見するともう少し幼く見える。
 小柄な体には、黒いベロアの裾の短いワンピースをまとい、すらりとした足にはぴったりした黒いスパッツと短いブーツというなりだ。細かく縮れた真紅の髪は、一つにまとめて頭の高い位置で束ね、黒いレースのリボンを飾っている。
 吊り上った猫を思わせる目も赤く、透けるように白い肌のせいもあって、ソファにじっと座っている姿は、どこか人形めいて見えた。
 その彼女の目の前で、いきなり画面は前触れもなく切り替わり、壮年の男が重々しい口調で話し始める。
 最初にそれを見た時には、彼女は思いきり顔をしかめたものだ。
 当然のことだが、ネットのテレビの回線に割り込むのは、緊急を要する内容でなければ各国が遵守するネット配信法に違反する行為だった。
 けれど。
 男の語る内容を聞くうちに、彼女の面からは血の気が引いて行った。
「ライリアが滅んだって……どういうことだ……」
 その口から、呆然とした呟きが漏れる。
 これまで彼女はさまざまな場所を旅して来たが、その国にはまだ行ったことがない。だが、少しだけ他の国よりも近しい思いを抱いていた。なぜならそこは、彼女にとっては育ての親といってもいいラフティ・クワイアスの祖国だからだ。
 その国のことを話すラフティは、いつも懐かしさと苦さが入り混じったような、不思議な表情をしていた。
 もしかしたら、祖国のことを話すのが辛いのかもしれないと思ったこともある。けれど彼女は、その人の生まれた国に強く惹かれるものを感じて、時おりその国のことを話してとせがんでしまうのだった。そうして、いつかはその国に、行ってみたいとよく思ったものだ。
 その国が、滅んだという。
 海の上に浮かぶ、海上都市国家だったライリアは、その都市機能の全てを巨大なジェネレーターに頼っていたのだそうだ。そのジェネレーターを制御するためのコンピューターは、その国の女王ネイジアと連動しており、彼女が死を迎えたことでコンピューターも機能を停止。ジェネレーターが止まったことで、ライリアは海の底に沈んだのだという。
「そんな……バカなことがあるものか……!」
 カイエは、声明を聞きながら、吐き捨てるように呟いた。
 各国ではすでに周知の事実であり、当然エテメナンキ上層部でも把握しているはずのライリア滅亡の情報を、彼女はまったく知らなかったのだ。
 彼女がいるのは、封印大陸の真ん中に大小さまざまの塔の集まりとして存在する《神の塔》の、中でも一番高く聳え立つ二つのうちの一つ、西側の塔の上層部に位置する最高府エリアだった。その中央に建つ七耀しちよう殿の一画に用意されたラフティのための住居で、二月ほど前からくらしている。
 この七耀殿と呼ばれる建物の主は、《至高天》筆頭のライラだった。
 当然、そこでは彼女の意志によってさまざまなことが行われ、あるいは規制されている。
 中でもライラが重要だと考えているのが「情報」で、それは彼女たち《至高天》の面々や大司祭であるグラディアス以外に対しては、ありのままが開示されることはほとんどなかった。
 そんなわけで、カイエに与えられる情報もまた、彼女たちによって操作され、取捨選択されたものでしかなかったのである。
 カイエは今や、食い入るような目で画面を睨みつけながら、男――ランドルフ・ボレロの話を聞いていた。
 やがてその声明が終わりを告げ、画面が元の映画に戻っても、彼女はしばらくの間、身動きしようとしなかった。だが、ふいに。すっくとばかりに立ち上がると、彼女は傍のテーブルの上から自分の携帯通信端末機を取り上げる。プッシュ一つですぐに相手に掛けられるよう登録してある番号の中から、ラフティのものを選び出すと、彼女はボタンを押した。
 相手を呼び出す間が、ずいぶんと長く感じられる。
 しかし、ようやくつながったと思えば、流れて来たのは「ただ今、電源が入っていないか、電波の届かないところにいます」という無機質な合成音声だった。
 何度も掛け直してみるが、聞こえて来るのは同じメッセージばかりである。
「くそっ!」
 とうとう彼女は腹を立てて、自分の携帯端末機をソファの上に乱暴に放り投げた。
 携帯通信端末機がつながらないのも道理、ラフティはアニエスへの途上で端末機を捨てていたのだった。その端末機は、当然ながら《神の塔》で用意されたものだったから、塔からの追跡の道具に使われてはたまらないと考えたためだ。
 だが、彼女はそんなことなど知るよしもない。
 しばらく、小さく唇を噛みながら、彼女は自分の端末機を睨みつけていた。が、彼に直接連絡を取ることは、今は無理だと判断した。
 踵を返すと、ドアの方へと駆け寄った。
 と、彼女がそこに到達するより早くドアが開いて、彼女にとっては見慣れた姿が立ちふさがった。
「ネメシス……!」
 そう、そこに立っていたのは、彼女の《織天使》ネメシスだった。
 一見すると二十代前半に見える彼女は、漆黒の肌とゆるく波打つ長い黒髪、そして瞳も虹彩もない金属的な金色の目を持っていた。細くくびれた腰と豊かな胸と尻を持つその体は、まるで主の髪や目の色に合わせたかのような、鮮やかな赤のプロテクトスーツに包まれている。
「どこへ行くつもり?」
 ネメシスは、軽く小首をかしげて主を見下ろし、尋ねた。
「一位様のところに決まってるだろ。ライリアが滅んだって話を聞いたんだ。しかもそれは、一位様がライリアの都市機能を制御するコンピューターとそこの女王を連動させたせいだって。……ラフティの通信端末機に連絡してみたけど、応答がない。だから、一位様に話を聞きに行くんだ!」
 それへカイエは瞳を怒らせ、叫ぶように返す。
「それはだめよ。そんなことをしても、ライラは本当のことなんて、話してはくれないわ。それにたぶん、ラフティはもう、この事実を知ってると思う」
 かぶりをふって言うネメシスに、彼女は思わず顔をゆがめた。
「何を言ってるんだ。一位様は……! それに、ラフティは……!」
「おちついて。ライリアが沈んだのは、一昨日のことよ。今更、何をどう言って騒いでみても、始まらないわ」
 ネメシスは、混乱する彼女をおちつかせようとするかのように、静かな声で言ってその両肩に手をやる。そのまま、彼女を押し返すように部屋の中へと下がらせると、改めてソファに座らせた。自分は床に膝をついて、カイエと目線を同じにすると、そっと両手でその頬を包み込んだ。
「おちついてちょうだい、カイエ。ラフティはきっと、大丈夫だから。……そして、あたしの話を聞いて」
「ネメシス……」
 ネメシスの優しい口調とその手の温かさに、カイエはようやく少しおちつきを取り戻したのか、少しだけ泣き出しそうな目をしてそちらを見返す。
 それへ安心させるようにうなずきかけて、ネメシスは口を開いた。
「ラフティのことよ。……彼が、どうしてずっとこの《神の塔》にいたのか、本当のことをあたしは聞かされていたの。今から、それを話すから、おちついて聞いてちょうだい」
 言われてカイエは、小さく目を見張る。
 どうして今、彼女がそんな話をしようとするのか、本当のところ理由が飲み込めなかった。けれどカイエは、彼女の目に宿った真剣で真摯な光に圧倒されたように、うなずく。
 それを見やってネメシスは、静かに口を開いた。
「三百年前、二百年続いた独立戦争が終わり、ライリアはクラリスの植民地であることから解放されて、独立国となった――そのことは、カイエも知ってるわよね?」
「ああ。昔、まだこの塔の中でくらしていたころに、教わった記憶がある」
 うなずくカイエに、ネメシスは続ける。
「そう。……でも、ライリアが独立できたのは、戦争に勝ったからじゃないの。当時のライリア政府が、エテメナンキの上層部――ライラと取引をしたためよ。彼女が出した取引の条件は、ルーフの聖女ジブリールとラフティを自分たちに引き渡せというものだったの。ジブリールは結局彼女の手に渡ることはなかったけど、ラフティは――ライリアからここに来て、三百年間ずっと、人質としてくらしていたのよ」
「……嘘」
 すぐにはネメシスの言葉の意味が飲み込めず、カイエは低い声で呟いた。
「そんなこと……。だって、ラフティは《至高天》の一人だぞ。昔はテンプルナイツの総帥だってしてたって。人質に、そんな地位を与えるわけないだろう? それに、彼は私ともう十年以上も塔の外を旅してる。人質だったら、そんなこと、許されるはずないじゃないか」
 小さくかぶりをふりながら、彼女は否定の言葉を続ける。
「そうね。でもそれは、ライラが彼を気に入り、彼の能力を高く買っていたためだそうよ。それに、ライラは自分がけして裏切らないと読んでいるんだ、とも彼は言っていたわ。彼がもしライラとエテメナンキを裏切る行動を取れば、ライリアと女王ネイジアはすぐにも滅ぼされてしまうって、誰よりも彼自身が一番よく知っていたのでしょうね」
 静かに言って、ネメシスは小さく唇を噛んだ。だがすぐに、再び口を開く。
「だから、ラフティは塔から逃亡したクライを連れ戻すなんていう、辛い役目を押し付けられたのよ」
「なんだと?」
 カイエの真紅の瞳が、再び見張られた。
「それはどういうことだ。ラフティは、クライの任務を手伝うために出かけたんじゃないのか」
「いいえ」
 ネメシスは、きっぱりとかぶりをふった。
「彼は、クライを連れ戻すために出かけたのよ。もしクライが戻ると言わなければ、殺せと命じられてね」
 言って、彼女はラフティから聞かされていたクライが塔から逃亡するに至ったいきさつ――ライラから与えられた任務を全うすることができずに投獄され、あわや自らの意志を奪われそうになってウリエルと共に塔から逃げ出したのだという話を、手短に語った。
 思いもよらなかった話を聞かされ、カイエは更に瞠目する。
「そんな……。でも……そんなひどい命令を、一位様が? いくらなんでもそれは……」
 彼女は、ひどく混乱したまま、しどろもどろに口走った。
 ライラが、けして優しく慈悲深い人間ではないことは、さすがの彼女も理解している。けれど、友人同士――いや、実際には互いをそれ以上に想い合っているとおぼしい二人に、殺し合いをしろと命じるほどに非情だとまでは思ってもいなかった。
 そんな彼女をなだめるように、ネメシスはまたそっとその頬を撫で、それから軽く抱きしめる。
「おちついて、カイエ。……こんな言い方はひどいかもしれないけど、ライリアが滅んだことで、ラフティは自由になったの。ライラの命令を聞いて、クライと殺し合う必要もなくなったのよ」
「けど……通信端末機に連絡しても、応答がない」
 カイエは呟くように言うなり、ネメシスの腕を無理矢理ふりほどき、その胸を押し返した。
「クライと戦いに行ったのなら、もしかしたらライリアが滅ぶ前に戦いになって、怪我でもしてるのかもしれないじゃないか! ラフティが、あいつと本気で戦うなんてこと、できるわけがないんだ。だったら……!」
「カイエ……」
 ネメシスの金色の目が、わずかに見張られる。だがすぐに、その目には優しい光が浮かび、彼女は母か姉ででもあるかのように、その腕を撫でた。
「そう。あの二人が本気で戦うことなんて、できるわけがないわ。だから、大丈夫。今頃きっと、二人でフラナガンを頼っているか、辺境のどこかの大陸に逃げ込んでるわよ」
 わざと明るい口調で、そう告げる。
 だが、カイエは頑なにかぶりをふった。
「そんなの、わからないだろ! だって、連絡を取る方法もないのに!」
 叫んだ後、ふと彼女はネメシスを見やる。その目の中には何か、渇望にも似たものが浮かんでいた。
「それとも……おまえにはわかるのか? たしか、《天使》同士は互いが発する特殊な波動を感じることができるとかって言ってたよな?」
「あ……」
 問われてネメシスは、一瞬虚をつかれた顔になる。しかしすぐに、かぶりをふった。
「ごめんなさい。たしかにそういう能力はあるけど、近くにいないと無理よ。……アンゲラ本体の通信回線も同じだわ。距離に制限があるし、相手もこちらもアンゲラ本体に搭乗していないと」
「そっか。そうだよな……」
 たちまちカイエはがっくりと肩を落として、再びソファの中へと沈み込む。
 しばらく、悄然とした顔で唇を噛んで考え込んでいたが、彼女は再び顔を上げた。
「私、やっぱり一位様に会って来る。あの方なら、ラフティがどこにいて、生きているのか死んでいるのかも、知っていると思うんだ」
「カイエ!」
 ネメシスは驚いて叫ぶなり、立ち上がろうとする彼女の肩をつかんで押しとどめる。そのまま、音声ではなく心の声で彼女に話しかけた。
『ばかなことを言わないで。もし本当にラフティがどうなったかを知っていたとしても、あの女が教えてくれるわけないでしょ。それどころか、今度はあたしたちに、クライと戦えと言い出すに違いないわ』
「なっ……!」
 思わず叫び声を上げかけるカイエに、ネメシスは身振りで声を出すなと伝える。そして、心の声で続けた。
『声に出さないで。この部屋だって、監視されてないとは限らないのよ。あたしたちが何を考え、何を話しているかは、できるだけあの女に知られない方がいいと思うの』
 そんな彼女を、カイエはどこか反抗的な真紅の瞳で睨み返す。だが、小さく吐息をつくと、心の声で答えた。
『おまえ、一位様のことを悪く考えすぎだ。……とにかく、私は一度、あの方と話してみる。ラフティが無事でいるかどうかだけでも、知りたいんだ』
 それは、心の声であるだけに、彼女が本気であることをネメシスにもまざまざと伝えて来た。
 ネメシスの方にしてみれば、逆にカイエがなぜそこまでライラに対して警戒心を持っていないのかという方が不思議に感じられる。
 ライラはかつて、目的のためには手段を選ばないそのやり方に反対したという理由で、ネメシスの最初の主だったイブリンを殺した。同じく彼女のやり方に反対だったユリウスは、生きながら死んだも同然の状態にされ、ネイジアは今回の声明にもあったとおり、ライリアのジェネレーター制御用コンピューターにその命を縛りつけられた。
 それだけではない。二千年にも渡る《大戦》も、そもそもは彼女がエンリルの戦力アップの他に、この星全体の戦力アップをも図る目的で起こしたものだ。
 前の主だったマリエルと共にこの《神の塔》に閉じ込められて、ネメシスは初めてその事実を知ったが、その時にも改めて彼女の容赦のなさを感じて慄然としたものだった。
 そうした彼女の恐ろしさは、カイエにしても多少は感じているはずだ。
 少なくとも、自分を目覚めさせた後、塔に戻りたくないと出迎えの飛空戦艦と戦ったおり、のちに全てが最初から仕組まれていたと知った時の衝撃を受けた様子と、悄然とした態度を思えば、ライラを尊敬するとか慕うなどというのは、あり得ないとネメシスは感じる。
 彼女にしてみれば、これを機会になんとかしてカイエと共にこの《神の塔》を脱出できればいい、ぐらいの思いがあった。
 たしかに、塔を出て行く時ラフティは、クライと戦って生きて帰れるはずがないと決めつけている節があった。だが、現実にはそう容易く彼が死ぬはずがないと、ネメシスは思っている。
 ラフティは、あのマリエルとジョゼフの子供だった。
 二人とも、しぶといというか前向きというか、ともかく自分の望みを容易くあきらめたり、自分が納得の行かないまま流されて行くような人間では、絶対なかった。そしてラフティが少しでもその二人の遺伝子を受け継いでいるのなら、当然彼もまたそうだろう。
 いや、事実このカイエと共にした旅の間に目にしたラフティの行動は、彼女にとってはまさにその父母を彷彿とさせるものばかりだった。
 ならば、クライとの戦いに敗れて死んでいる、などということが、あるはずがないではないか。
(そうよ。あのラフティがこんな下らない戦いに身を投じて死ぬなんて、あり得ない。そして、彼が生きているなら、あたしたちもそこへ行くべきよ)
 ネメシスは胸に呟く。
 ライラが、カイエを何かに利用するつもりがあって、自分を見つけ出させ、塔の外を旅することを許しているのは彼女には明白だった。だがむろん、ライラに協力するつもりなど毛頭ない彼女にとって、今はまさにここを出て行くための、千載一遇の機会だと思えていた。
 彼女は少しためらった後、そうした自分の思いを、カイエの心に流し込んだ。
 たちまち、カイエの目が大きく見張られる。
 だが、ややあって彼女はかぶりをふった。声に出して告げる。
「ネメシス、おまえの気持ちはわかるけど……私はやっぱり、一位様と話したいんだ。あの方にお会いして、さっき聞いた声明が本当なのか、おまえが言ってた人質の話とか、クライを連れ戻しに行った話とかについても、ちゃんと聞きたいんだ」
「あたしの言ったことが、嘘だと思ってるの?」
 ネメシスは、少しだけ愕然として問い返す。
「そうじゃない。だって、私たちの間で、嘘なんかつけないだろ。そうじゃなくて……一位様の口から、ちゃんと本当のことを聞きたいんだ」
 言ってカイエは、ネメシスの手をそっと肩からはずさせると、今度こそソファから立ち上がった。そのまま踵を返すと、ドアへと向かう。
「待って、カイエ。どうしても行くというなら、あたしも一緒に行くわ」
 慌ててその後を追おうとするネメシスに、カイエはふり返るなり、鋭い目つきで言った。
「いい。一位様には、私一人で会う。今のおまえが一緒に行くと、あの方とケンカになりそうだ」
 そうして、再びネメシスに背を向けると、彼女は大股に部屋を出て行く。
 ネメシスはただ、その背を見つめて立ち尽くすばかりだった。