第二章 塔の中の嵐

眠れる神を屠りしもの 1

【2】
 自分の部屋を後にしたカイエは言葉どおり、七耀しちよう殿の中心に位置する白虹舎にあるライラの居間へと向かった。
 ライラは基本的に午前中は執務室で公的な仕事をこなし、午後からは居間で私的な、あるいはあまり公には口にできないさまざまなたくらみに関する仕事に従事している。なので、この時間帯ならば、彼女は居間の方にいるだろうと踏んだのだ。
 とはいえ、実際には一度連絡を入れて、会う約束を取り付けてから指定された場所へ出向く方が早かっただろうし、その方が尋常な会見のやり方だと言えた。
 けれども、カイエにとってはそれさえも、時間が惜しいと感じられたのだ。
 それに、場合によっては会うことを拒否されるかもしれないとも思う。
 だから彼女は、あえてなんの連絡もせずに、白虹舎のライラの居間へと押しかけた。
 ライラの居間は、その一つ手前に広々としたロビーがあって、その一画に設置されたブースの中に来客の応対をする女官が常に控えている。
 カイエが名乗ってライラに会いたい旨を告げると、女官は穏やかに「会見の約束はございますか?」と聞いて来た。カイエがかぶりをふると、女官は困ったように首をかしげる。
 その時だった。奥の居間へと続く扉が開いて、誰かが出て来た。
 カイエは思わずそちらをふり返る。
 扉の向こうからやって来たのは、大司祭のグラディアスだった。
 一見すると二十代半ばとおぼしい彼は、長身の体を白い大司祭の法衣に包み、長い金髪を無造作に背に流している。その白い面は若い女性ならば、うっとりと見つめてしまいそうな程度には整っており、青い瞳が印象的だった。
 彼は、カイエの姿に足を止め、小さく吐息をついた。
 たまたまライラに呼び出されてここに来ていた彼は、駐車場に置いたエアカーの中で待つガブリエルからの連絡で、ランドルフ・ボレロの出した声明のことを知った。
 それを受けて、ライラが慌てて居間にあるテレビをつけたおかげで、途中からだが声明を聞くことはできたわけだが、同時にそれが、ネットのテレビの回線に割り込んで流されたものだということも知った。つまり、この時間にテレビをつけていた者は、全員がこの声明を目にする可能性があるわけだ。
(以前の、テレンスの時と同じやり方だな。……そしてどうやら、この子はそれを見てしまったらしい)
 どこかこわばった顔つきで自分をふり返る、特徴的な真紅の目と髪をした少女の姿に、グラディアスは思わず胸に呟く。
「カイエ様。何か、ライラにご用ですかな?」
「大司祭殿。その……ライリアの首相と名乗る者が行った声明を見たのです。その件で、どうしても一位様にお会いしたくて」
 声をかけるとカイエは、幾分改まった口調で答えた。
「残念ながら、ライラは会わないでしょう。法王にお会いするために、法王府へ出かけると言っていましたからね」
 グラディアスは、小さく肩をすくめて返す。
 それは嘘ではない。彼女は、エレンデルがこの声明を見た可能性を考え、話をするべくすでに奥にあるもう一つの出入り口から、居間を後にしていた。
 もっともグラディアスにしても、これは珍しいことだとは思う。
 彼女は常に、エレンデルに関することはやっかいな問題ほど彼に押し付けて来る傾向があった。なのに、今回は自ら動こうというのだ。
(他に何か、思惑があるのかもしれないがな)
 胸に呟いて、彼は内心にまた肩をすくめてみせる。
 そんな彼に、カイエは軽く目を見張った。
「法王府の、エレンデルの元へ向かったと? わかりました。ありがとうございます」
 言うなり彼女は、踵を返そうとする。グラディアスは、素早くその腕を捕らえた。
「待ちなさい」
「何ですか?」
 足を止め、こちらをふり返ったカイエは、わずかに眉間にしわを寄せて、問い返す。その表情が妙にライラに似ていて、グラディアスもまた思わず眉をひそめてしまった。が、すぐに気を取り直して口を開く。
「ライラに会って、どうするつもりなのですか」
「そんなこと……」
 あなたには関係ないだろうと言いたげな目で、カイエは彼を睨み上げて来た。だがすぐに、小さく唇を噛んで、言葉を継ぐ。
「声明で伝えられた内容が本当なのかを、聞きたいのです。ライリアは、ラフティの故郷です。それが滅んだなどと、聞き捨てならない話です。それに……ネメシスが……ネメシスが、ラフティはライリアからの人質だったのだなどと言っていて、その真偽についてもお聞きしたいのです」
「なるほど」
 グラディアスは、やはりそんなことかと内心にうなずきつつ、言った。
「そういうことならば、私でも役に立てそうですな。……ここではなんです。どこか、ゆっくり話せる所へ行きましょう」
「いえ、私は……」
 カイエが何か抗弁する暇も与えず、グラディアスは彼女の腕を捕らえたまま、歩き出した。
「ちょっ……! 離して下さい!」
 カイエは慌ててその手をふりほどこうとするが、いかに文官とはいえ男であるグラディアスの力の方が勝っている。彼女はそのまま、半ば引きずられるようにして、そこを後にするしかなかった。
 グラディアスがカイエを連れて行ったのは、ライラの居間からほど近い一画にある小部屋だった。あまり使われていない部屋なのだろう。室内は冷たく静まり返り、隅の方に四角いテーブルと椅子が二脚ほど置かれているだけだ。
 グラディアスはドアを厳重に締め切ると、ようやく彼女の腕を離して椅子に座るよう態度で示す。
 カイエは険しい顔で彼を見返したが、大人しく椅子の一つに腰を下ろした。
 グラディアスも、その向かいに座を占めると、口を開く。
「まず、四位殿のことからお話しましょう。ネメシスの言葉どおり、彼はライリアからの人質です。三百年前、ライリアの当時の政府上層部は戦争を終わらせ、自国の独立を得るために、エテメナンキと――というより、より正確に言えば、ライラと取引したのです。ルーフの聖女ジブリールと四位殿をエテメナンキに引渡すことを条件に、独立を許すとね」
 話しながらグラディアスは、自分の心の奥の古傷がしくしくと痛むのを感じて、わずかに顔をゆがめた。
 ライリア政府上層部とエテメナンキとクラリス――彼らが本当は何を話し合い、何を目的としているのかも知らないままに、当時彼はラフティやマニと共に軍隊を率いてロゼッタ砂漠へと出撃した。そして彼らの掛けた罠にかかって身動きできなくなったあげく、ジブリールにその身を危険に晒すような無理をさせたのだ。
 事実は隠蔽され、一般的にはライリアはルーフとマリアの尽力によって独立を勝ち取ったことになっている。また、その際にジブリールは殉教したのだとして、今でもずいぶんと脚色された形で「ロゼッタ砂漠の殉教」とか「聖女ジブリールの殉教」などと題され、ルーフ信者の間で語り継がれている。
 だがグラディアスは、三百年が過ぎた今でも、そうした話を聞くとなんとも言えない気持ちになるのだった。
 しかし当然カイエは、彼のそんな気持ちなど知るよしもない。
 彼ができるだけ感情を抑えて、淡々と語る言葉に、次第に眉間のしわを深くして行くばかりだ。
 やがて彼女は言った。
「では、ネメシスの言ったことは、やはり全部本当なのですか。彼は人質で、でも一位様に気に入られていたから、《至高天》の第四位やテンプルナイツ総帥なんていう、重要な地位を与えられていたと」
「そのとおりです。ただ、ライラに気に入られたためだけに、その地位を与えられたわけではない。彼は、人を率いることに長け、軍人としても優秀だった。ライラは、それをただ腐らせておくのは惜しいと考えたのでしょう」
 うなずいて返すと、グラディアスは小さく肩をすくめる。
「とはいえライラは、他人に情をかけるようなことはしませんからな。今回彼女は四位殿に、逃亡したクライ・カシアスを連れ戻すことを命じた。……そのあたりのことも、ネメシスから聞きましたか?」
「ああ」
 たちまち苦虫を噛んだような顔になりながら、カイエはうなずいた。
「そうですか。……なら、今更何をライラに問おうと言うのですか。四位殿はたしかに故郷を失ったが、人質という名のくびきからは解放された。クライと戦う理由もない」
 言ってグラディアスは、小さく口元をゆがめる。
「彼は強い人だから、ああしてライラの出した酷い任務にも黙って出て行きましたが……私なら、とうの昔に発狂していますよ。故郷と養母と愛している人と、いったいそのどれを選べるというのです?」
「そう思うのなら、なぜ止めなかった!」
 ふいに。怒りの沸点に達したとでもいうかのように、カイエは赤い瞳を更に燃やしながら、激しい口調で怒鳴った。さっきまでの丁重な物言いも、かなぐり捨ててしまっている。
「なぜ一位様に、その命令を撤回するように、進言しなかった! あなたなら、それができるだろうに!」
 突然吹き出した彼女の怒りに、グラディアスは少しだけ目を見張る。
 彼はカイエとは、さっきからのように、常に間にガラス一枚隔ててでもいるかのような、そっけないやりとりしかかわしたことがなかった。
 互いにこれまでほとんど交流がなかったせいでもあるが、彼女はグラディアスが知っているこの年齢の少女たちとはずいぶんと違っていて、どんなふうに応対していいのか、今一つわかっていない部分があった。
 それは相手の方でも同じらしく、それで彼らのやりとりはいつもそんなふうなのだった。
 なので、剥き出しの怒りを向けられて、グラディアスはとまどいつつも少しだけ新鮮に感じる。
「残念ながら、ライラを止めることのできる者などおりません。彼女とはつきあいが長く、一応は同等といってもいいリリスやイーヴァでさえできないことを、私などにできるはずがない」
 彼は小さく肩をすくめて返した。
 だがその言いようは、カイエの怒りに更に火をつけたらしい。
「そんなこと、やってみなければわからないだろう? 実行してみもせずに、できないと言うのはただの愚か者か臆病者だ!」
 怒鳴るなり、彼女は席を蹴って立ち上がる。
「どこへ行くのですか」
「一位様に会いに行く。法王府にいるというなら、そこまで追いかけて行くまでだ」
 言い捨てるなり、彼女はもはや一瞥も与えずに踵を返した。
 そんな彼女に潔さを感じつつも、グラディアスは一方では子供の頑なさを感じて、胸に小さく吐息を落とす。今更ライラに会ったところで、何も得るものはないだろうことは、彼には明白だ。彼とネメシスの口から語られた事実が変わるわけではないし、ライラは当然ながら自分のしたことを悪いなどとはこれっぽっちも思っていないに違いない。それに、彼自身が先程口にしたとおり、ライリアは滅びたがそれによってラフティは自由になったのだ。少なくとも、普通なら発狂しかねない二択で苦しむ必要はなくなった。
(それに、クライにとってもこれは、幸いな話だろう。あいつが彼を本心ではどう思っていたかはともかく……友人と殺し合うのを楽しいと思う人間でないことだけは、たしかだからな)
 グラディアスは胸に呟き、そのまま立ち去って行こうとするカイエの腕を再び捕らえる。
「離せ!」
 今度も彼女は、その手をふりほどこうとするが、やはり果たせなかった。それをいいことに、グラディアスはまたもや彼女を引きずるようにして、その部屋を後にする。
 今度彼が向かったのは、白虹舎の外だった。
 七耀殿は、白虹舎を中心に、周囲に六つの殿舎がそれぞれ渡り廊下や回廊でつながる形になっており、殿舎の何箇所かには出入り口があって、その近くには駐車場が設けられている。
 グラディアスが彼女を連れて向かったのは、その駐車場の一つだった。
 その一画に、彼自身のエアカーが止まっている。彼が近づいて行くと、ドアが開いて中で待っていたガブリエルが姿を現した。
 いつもどおり、百八十ルキアはあるだろう長身の痩せた体を白い衣服に包み、直ぐな白金の髪は束ねることもせずそのまま背に流している。白金のまつげに縁取られた切れ長の目は、《天使》に特有の瞳も虹彩もない銀色だった。その目の色や髪の色のせいもあるのだろうが、彼は全体にまるで雪の彫像のようにも見える。
「グラディアス。どうしたのですか?」
 いつもと同じ、淡々とした口調で問うて来るのへ、グラディアスは小さく肩をすくめて答えた。
「ライリアの滅亡の件で、ライラに会うと言って聞かないのでな。……しばらくは、四位殿の住居へでも閉じ込めておいた方がいいだろうと思ったんだ」
「会いたいというなら、会わせてやればいいじゃないですか。彼女はきっと、実も蓋もないそっけない対応をするだけのことだと思いますが」
 ガブリエルは、目を怒らせてグラディアスから逃れようともがいているカイエを、ちらりと見やって返す。
「どうだろうな。……最近のライラは、妙に苛立っていることが多いと感じられる」
 グラディアスは、わずかに眉をひそめて言った。
 各国で起こっている突然の妖魔化・悪霊化の原因が、この星を包む電磁波のせいだと判明して以来、ライラはなんとなくおちつかない状態だった。以前に較べて沸点が高いというか、普通に話していても突然苛立った口調でまくし立てて来ることがある。このしばらくは、彼女に仕える女官たちも以前にはなかった強い緊張感に包まれていて、誰もがぴりぴりしている様子が伺えた。
 ガブリエルもむろん、そんな彼女の状態を知らないわけではない。
「それはまあ……。ですが、大事な戦力です。使いものにならないようなことは、しないでしょう」
 薄く口元をゆがめてうなずいたものの、ガブリエルは相変わらず淡々とした態度を崩さない。
「かもしれないが、どちらにしろ、互いに益のないことだ」
 言ってグラディアスは、カイエを自分のエアカーの座席に押し込もうとした。
 その時だ。
「何をしてるの!」
 鋭い叫び声と共に、羽ばたきの音が響いて、上空から舞い降りて来た人影があった。漆黒の肌に黒い髪、背に二枚の黒い翼を広げたそれは、ネメシスだ。
「ネメシス!」
 カイエが安堵の声を上げて、グラディアスの手をふりほどこうともがく。
「カイエを離しなさい!」
 それとほぼ同時に、ネメシスの手に現れた光の球がグラディアスの足元に放たれ、小さな光の爆発を起こした。
 とはいえ、それ自体はグラディアスに被害を与えることは、なかったけれど。
 というのも、ネメシスが光球を放つのとほぼ同時にガブリエルも魔法を発動させて、グラディアスと爆発の間に氷の障壁を作り出し、被害を及ぼすのを防いでいたのだった。
 ただ、一瞬の隙をついて、カイエはグラディアスの手をもぎ離し、そこから逃れ去ってしまっていた。
「ネメシス!」
 駆け寄って来るカイエを後ろにかばい、ネメシスは油断なくグラディアスとその前にかばうように歩み出たガブリエルの二人を金色の強い光を放つ目で見据える。
「カイエに、何をするつもりなの?」
「危害を加えるつもりはない。ただ、この上ライラに会ってあれこれ詮索しようという気がなくなるまで、四位殿の住居に閉じ込めておこうと思っただけだ」
 グラディアスがまっすぐ相手を見返して、答えた。
 それを聞いて、ネメシスの眉がわずかにゆがむ。
「カイエ。……ライラには会えなかったの?」
「ああ。今は、エレンデルに会いに行って、留守らしい。だから、私も法王府へ――翼竜よくりゅう殿へ行こうと思ったんだ。そしたら、こいつが……」
 問われてうなずき、カイエは事情を告げる。
「大司祭殿も、おまえの言ったことは本当だと教えてくれた。でも……私はやっぱり、一位様にお会いして、その口から本当はどういうことなのかを、お聞きしたいんだ。ライリアが滅んだ理由についても、ちゃんとあの方の口からお聞きしたい」
「そう……」
 ネメシスは、その言葉に含まれた感情が、すぐ傍にいるために心に流れ込んで来るのを感じて、小さくうなずいた。
 カイエにとってライラは、恐ろしい面もあるけれども、絶対君主であり同時に母親的位置にいる相手でもあるようだった。だからこそ、肉親のように慕っていたラフティに対する仕打ちや、その祖国であるライリアに対する行いが、どれだけ真実だと聞かされても信じられず、ライラ当人の口から本当のところを聞きたいと感じているのだろう。
「わかったわ。ここは、あたしに任せて。あなたは、法王府へ行きなさい。ライラに会いに」
 ややあって、ネメシスはうなずく。
 カイエは一瞬、驚いた顔になった。が、すぐに破顔するなり「ありがとう!」と叫んで、踵を返す。
 グラディアスがそれを追おうと足を踏み出しかけるが、ネメシスがその前に立ちはだかった。
「カイエを追わせはしないわ。どうしてもそうすると言うなら、あたしが相手よ」
「我々が争うようなことでは、ないと思いますけれどもね」
 ガブリエルは言って、尋ねるようにグラディアスを見やる。
「行かせない方がいいとは思うが……ばからしい争いはごめんだ」
 グラディアスは肩をすくめて答えると、ネメシスを見返した。
「ライラにとって彼女は重要な戦力ではあるだろうが、一方ではコマの一つでしかない。四位殿やクライや私と、彼女はライラの中ではなんら変わることのない道具にすぎない。気に入らなければ、壊してしまえばいいというつもりなのは、同じだということを覚えておくのだな」
 言って彼はつと踵を返す。そのまま、自分のエアカーに黙って乗り込んだ。
 それを見やってガブリエルも踵を返す。
 彼がエアカーに乗り込むとドアが音もなく閉まり、やがてそれは静かに駐車場を滑り出して行く。
 それを黙って見送った後、ネメシスは背中に翼を収納すると、カイエが走り去った方へと歩き出した。