第二章 塔の中の嵐

眠れる神を屠りしもの 1

【3】
 一方。
 ライラはグラディアスが言ったとおり、法王府の中央に位置する翼竜よくりゅう殿の奥深くにある、法王エレンデルの居間にいた。
 表向きにはエテメナンキの頂点に立つ法王であるエレンデルは、この年十七歳の少年だった。
 この日は休日とあって、長身の体にはゆったりした白いシャツとズボンをまとい、ソファに腰を下ろしている。うなじがかくれるぐらいまで伸ばした栗色の髪は、前髪をすっかり掻き上げてしまっているせいで、年齢よりも大人びて見えた。広い額と、知的な光の宿る鳶色の目を持つ彼は、おちついていて若いながらにその地位にふさわしい人物と見えた。
「ライラが私を訪ねて来るなんて、最近では珍しいね」
 香り高いイール茶を入れたカップや、焼き菓子を盛った皿の並ぶテーブルを間に挟んで向かい合って座るライラに、彼は口元に笑みを浮かべて声をかける。
「言われてみれば、そうですわね。……こうして、お茶をご一緒するのも、久しぶりですわ」
 ライラはどこか皮肉げにも見える笑いを、真紅に塗った唇に浮かべながら返した。
 こちらは、一見すると二十七、八歳ぐらいだろうか。細かく縮れた真紅の髪を背に垂らし、きつく鮮やかな真紅の目の美女だ。身に着けたドレスもパンプスも赤く、まるで炎の化身ででもあるかのように見える。
 彼女こそが、このエテメナンキの本当の支配者――実質的にこの組織を牛耳る《至高天》の筆頭だった。
「それで? 今日はどんな話を?」
 エレンデルはイール茶を一口飲んでカップをテーブルに置くと、穏やかに彼女を見やって尋ねる。
「あなたのことだ。何か用がなければ、わざわざここには来ないでしょう?」
「あらあら。すっかりお見通しというわけですのね」
 楽しげに笑って返すとライラもカップを置いて、改めて相手を見据えた。
「報告が遅くなりましたけれど……ライリアが滅びました。一昨日の夜のことです」
「滅んだって……」
 たちまち、エレンデルの目が大きく見開かれる。
 テレンス・リリシアの脱走騒ぎ以来、彼の周辺では塔の中やエテメナンキ内部に関することはもちろん、外の情報は彼自身にはそれとわからないように極端に制限されてしまっている。そのため、ライリア滅亡に関しても、彼の耳にはまったく入っていなかったのだ。
「海に沈んだのです」
 ライラはそれへ、簡潔に告げた。
「都市機能を維持していたジェネレーターを制御するコンピューターのシステムに、なんらかの問題があったようですわ。そしてそのことは、ライリア政府の者たちも理解していたようです。国民は事前に同盟各国に移住し、残っていたのは、病に臥せっていた女王ネイジアだけだったとか」
「では、女王と国そのものが、共に海底に沈んだということ?」
 エレンデルは、目を見張ったまま問い返す。
「そのようですわ。先程、首相のランドルフ・ボレロが世界に向けて声明を発表しました。各国に移住した国民たちがおちつくまでは、彼と閣僚たちがフラナガンに暫定政府を置いて対処するそうです」
 うなずいて言うとライラは付け加えた。
「声明は録画しましたから、あとでこちらへ届けさせますわ。それと……《至高天》四位だったラフティですが、さすがに祖国がこんなことになって、政府の手伝いをしたいと言うので、私の独断でその地位からはずし、フラナガンへ行くことを許しました」
「いいよ、それで。……そうか。ラフティはライリアの生まれだったのだよね。それではきっと、ずいぶんと今回のことには心を痛めていただろうね」
 深く吐息をついてソファの背に身をあずけると、エレンデルはここにはいないラフティのことを思い出すかのように呟く。そして問うた。
「たしか彼は、クライの任務を手伝うために塔の外に行ったはずだったけど……では、そこから直接フラナガンへ行ったの?」
 ラフティがクライの手伝いに行ったという話は、彼がクライを追うために塔を出てほどないころに、カイエから聞かされた話だった。
「はい。猊下にお暇の挨拶ができないことを、残念がっておりましたわ」
 ライラは平然とそんな答えを返す。
「そう。でも、こんな際だものね。しかたがないよ」
 エレンデルは小さく肩をすくめて言うと、軽く首をかしげて更に尋ねた。
「それで? 後任の四位を入れるの?」
「いえ。しばらくは、今のままで行こうと思っていますわ。もともと四位は私たちの補佐的な意味合いが強くて、ラフティが加わるまでも、しばらくは空席でしたし」
 ライラはかぶりをふって答える。
「そうか。……けど、もし四位にふさわしいと思う人材がいたら、私に気を遣わなくとも、ライラが決めてくれていいんだよ」
「ありがとうございます」
 うなずいて鷹揚に告げるエレンデルに、ライラは恭しく頭を下げた。
 もっとも、ライラとしてはもう《至高天》の人員を補充することなど、考えてはいない。それどころか彼女は、エデン号の自己修復さえ終われば、この星を見捨ててすぐにでも母星への復讐の旅に出るつもりなのだった。
 だが、そんなことなどエレンデルに話すつもりは毛頭ない。
 頭を下げるライラに、エレンデルの方ではこれで話は済んだと思ったのだろう。皿に盛られた焼き菓子を勧める。ライラもそれに従い、勧められた菓子の一つに手を伸ばす。
 外が騒がしくなったのは、それからしばらく後のことだった。
「困ります! 約束のない方は、ここをお通しできません……!」
 厚い扉を通して漏れ聞こえて来る声は、この居間に続く控えの間で、エレンデルに会いに来る人々の取次ぎをしている侍従のものだろう。
「別に、エレンデルに用があるわけじゃない。私はただ、ここにいる一位様に会いたいだけだ!」
 それへ荒い口調で返しているのは、少女とも思える高い声。
 エレンデルは、思わずライラと顔を見合わせる。だが、二人が何か言葉を交わすより早く。
「もういい、どけ!」
 苛立ったような叫びと共に、何かが倒れるような音がした後、扉は大きく音立てて開かれた。
「カイエ……!」
 その人物の姿に、エレンデルが思わず声を上げる。
 そこに立っていたのは、真紅の髪をふり乱し、赤い目を爛々と怒らせたカイエだった。
「一位様!」
 カイエはしかし、エレンデルには目もくれずに、彼の向かいに座しているライラの方へと大股に歩み寄る。彼女のすぐ傍で足を止めると、口を開いた。
「さっき、ライリアの首相とやらの声明を見ました。あの男が言っていたことは、本当ですか。ライリアが滅んだというのは。そしてそれが、一位様が女王の命とライリアの都市機能を維持しているジェネレーターの制御用コンピューターをつないだせいだというのは」
「カイエ!」
 さすがに、カイエがこんなことを言い出すとは思っていなかったライラは、顔色を変える。
 だが、カイエはそれには頓着せずに、更に問いを口にした。
「それだけではありません。ネメシスからは、もっと信じられない話を聞きました。ラフティが、ライリアからの人質だったというのは、本当ですか。そして先日彼が塔を出て行ったのは、友人であるはずのクライと戦うためだというのは」
「カ……!」
 ライラが恐ろしい形相で、彼女の名を呼ぶよりも早く。鋭く息を飲む音が室内に響いた。
 思わずそちらをふり返る二人の前で、エレンデルは信じられないと言いたげに目を見張ったまま、凍り付いている。ややあって、その目がゆっくりとライラに向けられた。
「ライラ……。今の話は本当なの……」
「今の話とは、なんのことでしょう」
 ほんの一瞬、怒りの表情を浮かべたものの、ライラの白い面にはほどなく氷のごとき冷ややかさが浮かび、事務的な言葉が返される。
「カイエの言葉でしたら、お気になさいますな。おおかた、私に悪意を持つネメシスが、ありもしない嘘を吹き込んだのでしょう」
「でも……」
 とまどいつつも、何か言い返そうとするエレンデルを、ライラは冷たい光の浮かぶ目でねめつけた。
「猊下は、私の言葉を信じられないと言われますの?」
「そうじゃない。でも、今のカイエの言葉だって、聞き捨てならないよ。だって、どれも私が初めて聞く話ばかりだし……ライリアの滅亡の件はさっきあなたが教えてくれたけれど、それだってなんだか話が違っているじゃないか」
 エレンデルは小さく身をすくませながらも、抗弁する。
 彼もまた、ライラがけして見た目どおりの若く美しいだけの女ではないことぐらいは、理解していた。
 自分が法王とはいえ、実際には飾り物であることをも、漠然と感じている。それでもこれまでは、自分の自尊心が傷つく以外に問題だと思えることがなかったので、黙ってその現実を受け入れて来た。
 けれども今のこれは、黙って聞き流せるような話ではない。
 殊にクライは、彼にとっては気に入りの人物だ。
 ラフティとクライが旧い友人だということも知っていたし、宴などの席で耳にする噂で、ラフティの想い人がクライであるらしいことも知っている。
 その二人が、ライラの命令で戦うはめに陥っているなど、信じたくない話だった。
 それにもちろん、ラフティが人質だという話も、初耳だ。
 ライラはそんな彼を相変わらず冷たい目で見据えていたが、ふいに小さく肩をすくめると言った。
「そうですわね。ラフティが人質だということを、猊下にお話するのは、忘れていたかもしれませんわ。……彼は、三百年前、ライリアがクラリスから独立するための条件として、差し出されたものですの。でも、もともと彼はこのエテメナンキのものでした。彼の父親はテンプルナイツの将校で、母親は《大戦》終結と共にこの塔に捕らわれの身となった捕虜だったのですもの。私たちは、それを取り戻しただけのことですわ」
「つまり……ラフティがフラナガンへ行ったのは、ライリアが滅びて人質としての価値がなくなったからだと?」
 呆然としてエレンデルは問い返す。
 だが、ライラが何か答えるより早く。今度はカイエが驚きの声を上げた。
「ラフティは、フラナガンにいるのか?」
「そうよ」
 ライラは平然と返す。
 とはいえ、これは彼女にしてみれば当然の返事だった。
 今更、ラフティがどこにいるか知らないとは言えない。それを口にすれば、さっきエレンデルに話したことは全て嘘だったと露見してしまうだろう。
「クライも一緒に?」
「いいえ」
 再度問われて、ライラはそっけなく否定した。
「クライは私に与えられた任務を遂行中だわ。ライリア滅亡の報を聞いて、ラフティだけが任務を離れてフラナガンへ行ったのよ。……クライから、事後報告があったわ」
「……それが本当なら、ネメシスと大司祭殿が私にした話は、嘘だったことになる」
 しばしの沈黙の後、カイエは低く呟いて唇を噛む。
 ネメシスが嘘をついていないことは、彼女にはわかっていた。《天使》とその主は、精神の一部がつながっている。それはネメシスと彼女も同じことで、だからこそ互いに嘘はつけないのだった。
 そして、ネメシスと同一の話だったという時点で、グラディアスも嘘をついていないということになる。
 それでも彼女は、ライラの話の方を信じたかった。
 友人同士を戦わせるなどというひどい命令を、ライラが出したなどとは思いたくないのだ。
 ライリアの滅亡も、その一部には彼女に原因があるなどと思いたくない。
 そんなカイエの葛藤を知ってか知らずか、ライラはまた肩をすくめて言った。
「信じたくないでしょうけど、そのとおりよ。あなたが教えられた話は嘘に違いないわ。……ネメシスはともかく、なぜグラディアスまでがそんなことを言ったのかはわからないけれど」
「でも、ネメシスはどうしてそんな話を知っていたの? 誰かから、教えられたってことだろう?」
 幾分ためらいがちに口を挟んだのは、エレンデルだ。
「彼女は……ラフティから聞いたと言っていた」
 苦渋の色を面に浮かべたまま、カイエはそちらをふり返って答える。
「ラフティから? でも、それなら……」
 エレンデルは、聞くなり眉をひそめて考え込んだ。
 当のラフティが嘘を教えることなど、あり得ない。
 そんな二人のやりとりにライラは、付け焼刃でついた嘘など長くは持たず、すぐに崩壊して行くしかないのだと悟った。といっても、そこであっさりと観念するような彼女ではない。
「猊下」
 つと真紅の目を上げると、エレンデルに呼びかける。
 彼が、なんの警戒心もなくそちらをふり返った。
 途端。
 彼女の伸ばした指先――真紅を基調として艶やかな彩りがなされた付け爪の先から、光が閃く。
 一瞬のまたたきのようでもあったそれは、確実にエレンデルの方へと伸びて、彼の胸元あたりを直撃した。
「……!」
 声にならない叫びを上げて、エレンデルの体が床へと崩れ落ちた。
「エレンデル!」
 突然のことに、カイエは叫んでそちらへ駆け寄った。
「エレンデル、しっかりしろ! エレンデル!」
 身を屈め、倒れたエレンデルの体をゆさぶる。が、彼はまったくなんの反応も示さない。
「彼に、何をした」
 思わず険しい顔で、ライラをふり返って問うた。
「心配しなくても大丈夫よ。一種のショックガンのようなものだから。一時的に、気を失っただけよ」
 ライラは悪びれもせず言って、まっすぐにカイエをねめつけ、溜息をつく。
「まったく。私と話したいなら、大人しく七耀しちよう殿で待っていればいいものを。わざわざ、こんなところまで来て、ラフティのことやらライリアのことまで、猊下の耳に入れなくていいことを喚き立てるとはね。……少し、自由にさせすぎたかもしれないわね」
 その、どこかうんざりしたような口調に、カイエの面が引きゆがんだ。さっきの話は嘘なのだと、直感的に悟る。
「ネメシスと大司祭殿の話は……本当なんだな?」
 それでも、念を押すように尋ねた。
「ええ、本当よ。ついでに言うなら、ライリアの首相が声明で言っていたこともね」
 うなずくと、ライラは肩をすくめて返す。
「あれは、ネイジアへの戒めだったのよ。彼女が二度と私に反抗しようなんて気を起こさないようにね。……もっとも、独立戦争は見逃してあげたわ。あれは、こちらの戦力向上にも役立ったし、二百年、退屈することがなくて、楽しかったもの。……ルーフの規模を拡大するきっかけを作ってしまったのは、少し痛かったけど、戦争ですものね。多少のリスクはつきものだわ」
 そんな彼女をカイエはただ呆然と見つめながら、その言葉を聞いていた。
 カイエにしてみれば、信じられない気持ちだった。
 国としては小さいとはいえ、ライリアも人口三百万人近い大都市ではある。
 その都市が滅ぶ――物理的に、海底に没してしまうということは、それだけの人数が巻き込まれ、全員死んでいたかもしれないということだ。
 いや、実際には死傷者はいないにせよ、祖国を失った人々の気持ちは計り知れない。
 なのにライラは、まるでゲームの勝敗についてでも語るかのように、平然と恐ろしいことを口にする。
(……この人ならばきっと、平然とラフティにクライを殺しに行けと言うだろう)
 ふいにカイエは、そう思った。
 ラフティが、どれほどクライを想い、焦がれ、守りたいと思っているか――それをちゃんと知りながら、平然と口にするのだ。彼を殺せと。
(そんな命令を出されて……ラフティは、どんなに辛かっただろう……)
 呟く脳裏に、グラディアスの言葉がよみがえる。
 祖国と養母、愛する人のどれかを選べと言われたら、自分なら気が狂う――そう、彼は言った。
 まさに、そのとおりだろうとカイエはふいに悟った。
 その頬を、いつの間にか涙が伝う。
 それに気づいて、ライラは嘲るように唇の端を跳ね上げた。
「何を泣くの? これまで何も知らなかったことが悔しいのかしら。それとも、ラフティとクライのために泣いているの? まさか、ライリアのためではないわよね?」
 たちまちカイエの目に、怒りの炎がともる。
 彼女は、カッと目を見開いて、頬を涙で濡らしたまま叫んだ。
「その全部だ! そうとも、何も知らなかったことが悔しいよ。ラフティが、あんなに愛しているクライと戦わなくちゃならないなんて、どれほど辛かっただろうと思うと、苦しいよ。ライリアの人たちだって、祖国を失ってどんなに呆然としてるだろうと思うと、やっぱり苦しくなる」
「あらあら。……カイエは、ずいぶんと博愛主義に育ってしまったのね」
 ライラはしかし、変わらず嘲りを含んだ笑みを浮かべて、からかうように返す。
「何が博愛主義だ! それは、人間だったら当たり前の感情だろ!」
 更なる怒りを煽られて、カイエは怒鳴った。
「人間だったら……ね」
 それへライラは、妙に含みのある口調で言って、目を細める。
「ではあなたは、自分が人間だと思っているのね。……その髪や目の色のことを、不思議に思ったことはないの? 長らく外を旅して、いろんな人間を見たでしょう? その中に、あなたと同じ色の髪や目の色をした者がいて?」
「何が、言いたいんだ」
 カイエは、怒りの矛先を削がれて顔をしかめつつ、問い返した。
 ライラが、何を言おうとしているのかが、よくわからない。
 ただ、過去に知り合った人々のことを思い返すと、それは彼女の言葉どおりではあった。
 カイエの髪の色は、一般的な赤毛とは違う。本物の真紅、たとえば花や血が持つようなそんな色だった。目の色も同じで、茶色などの瞳が光の加減でそう見えるといったものではない。正真正銘の真紅なのだ。
 そしてそれは、そんな問いを投げかけている女自身も持つ色だった。
 問い返されて、女は笑う。
「私の言っている意味が、理解できないの? その髪と目の色を持つのは、この世で私とあなた、二人だけだと言っているのよ、私は」
「それって……」
 それはまるで、二人に血縁関係があると言外に告げているにも等しいと気づき、カイエはとまどう。
「答えは自分で考えなさい」
 だが、ライラはまるで彼女を惑乱させるかのようにそっけなく告げると、艶やかな指先をひらめかせた。
 再びそこから閃光がほとばしり、カイエもまた先程のエレンデルと同じように、声なくその場に崩れ落ちる。
 足元に横たわる彼女を見下ろし、ライラはようやくかたずいたと言わんばかりに小さく鼻を鳴らした。そうして、ドアの方へと歩き出そうとした。
 その時だった。
 再び外が騒がしくなり、そしていきなり扉が開いた。