第三章 ライラの野望

眠れる神を屠りしもの 1

【2】
 イスライールがエレンデルを連れて行ったのは、その言葉どおり最高府エリアの中心に建つ七耀しちよう殿だった。
 七耀殿は、中央に位置する白虹舎の周囲を渡り廊下と回廊でつながれた六つの建物が囲む形で建っている。
 エレンデルは、白虹舎の地下――かつてクライが閉じ込められていた獄舎のあるあの場所の一画へと連れて行かれ、その一室へと入れられた。
 とはいえ、さすがにこれまで法王として扱って来た人物を、いきなり完全な獄舎へ閉じ込める気はなかったものとみえる。
 彼が入れられた部屋は、殺風景ではあるがそれなりに調度は整っていて、クライがかつて入れられていた部屋とはずいぶん違っていた。ただし、コンピューターの設備はなく、もちろんテレビや通信システムなどはいっさい設置されていない。
 居間と寝室が一緒になったようなその部屋のベッドの上に、イスライールは肩に担いでいたエレンデルの体を下ろし、静かに横たえた。
 そこへ、ライラが姿を現した。
 相変わらず、真紅のワンピースに真紅のパンプスといった姿で、燃え上がる炎のようでもある。
「ご苦労様、イスライール。面倒なことを頼んで、悪かったわね」
「いや。……気絶させたが、心身共に異常はないはずだ」
 小さくかぶりをふって返すイスライールに、ライラは口元だけで微笑み返してうなずく。
「ええ、わかってるわ」
 それを見やってイスライールは、小さく肩をすくめて踵を返した。そのまま、立ち去って行く。
 それを見送ってから、ライラはベッドの上のエレンデルを見下ろした。
「それにしても……まさかエレンデルがあのデータを見るとはね」
 低く呟き、思わずきつく唇を噛みしめる。
 最重要機密の一つに位置付けられている、ユリウスのクローン製作実験のデータにアクセスしようとする動きが半月ほど前からあったということをライラが知ったのは、つい先程のことだった。
 そのデータが塔のコンピューターのデータバンクに入れられているのは、それに関わる研究者たちがいつでも情報を共有できるようにとの配慮からだ。エレンデルの完成と成功によって、新たなクローン製作をする必要はなくなったものの、万が一にもエレンデルに不具合が見つかった場合、研究者らと共にその対策を検討する必要はある。そうした場合を考え、データはそのままコンピューター内に残され、パスワードを知る者だけが閲覧できるように封印されたのだ。
 もしもそのデータが不正に閲覧された場合には、人民管理局を飛び越えて、ただちにライラの元に連絡が行くようにシステムが組まれている。
 今も、だからこそ彼女は、エレンデルがそのデータにアクセスしたことを知ったわけだったが、それ以前のアクセス情報――エレンデルが、この半月の間に毎日データを閲覧しようとパスワードを入力してはアクセスに失敗していたその軌跡の方は、人民管理局の解析システムにきっちりと残っていた。つまり、最初に彼がアクセスしようとした時に、人民管理局が動いていれば、この事態は、ふせげたのだ。
「あの連中、全員左遷だわ。……たとえ相手が誰だろうと、最重要機密に不正にアクセスしようとしている者がいるのを知りながら、半月も放置するなんて……! 無能どもが!」
 苛立ちもあらわに吐き捨てて、ライラはきりきりと柳眉を逆立てる。
 とはいえ、もはやこうなってはいくら人民管理局の者たちに怒りをぶつけてみても、しかたのないことだ。
 それにしても……と彼女は考える。
(エレンデルは、どうして自分のデータを、それもこんなふうに封印してあるものを、見ようとしたのかしら? これまで、自分のデータになど、まったく関心を持たなかったというのに……)
 彼女が眉根を寄せた時、小さくうめいてエレンデルが目を開けた。
「気がつきまして? 猊下」
「ライ……ラ……?」
 エレンデルは、まぶしげに目を細めて彼女を見上げ、それから小さくうめく。首の後ろとこめかみが、鈍く痛むのだ。とはいえ、以前意識を失わせられた時のように、記憶が曖昧な部分はなかった。
「ここ……どこ……?」
 顔をしかめたまま、かすれ声で尋ねる。
「白虹舎の地下ですわ。猊下には、これからしばらくの間は、ここでくらしていただきます。ご自分の秘密を知って、おかしなことを考えたり、行動されたりなさらないようにね」
 答えるライラに、彼はようやく身を起こして言った。
「猊下なんて呼ぶな。どうせ私は、ただの飾り物なのに。それどころか、父上――先の法王の息子でさえないというのに」
「どうしてそんなことを言われますの? クローンとそのオリジナルは、親子も同然ですわ。クローンは文字どおり、オリジナルの血肉を分けて生まれて来た存在ではありませんか」
 ライラは変わらず慇懃な態度で言って、何か間違っているかと言うかのように、片方の眉を上げてみせる。
 たちまちエレンデルは顔をしかめた。
「かもしれないけれど、それは普通の親子関係とは違うよ。……それに、あなたの目的は、法王の跡継ぎがほしかったからじゃないでしょう? あなたがほしいのは、私の中にあるエデン号の始動キーとやらだ。半月前、あなたは自分でそう言っていたじゃないか」
 その言葉に、ライラの面が驚愕にゆがむ。
「あなた……あの時、意識が戻っていたの……?」
 思わず問うた彼女に、エレンデルは苦々しげに笑った。
「そっか。……そんなふうに驚くってことは、やっぱりあれは、夢じゃなかったんだね」
 呟いて、うなずく。
「うん。戻っていたよ。……というか、半覚醒状態だったっていうのが正しいかな。だから、あなたの言葉も夢かと思っていたんだ。それでも、自分のデータにアクセスして、あの隠しリンクの向こうを見ようとパスワードを探し続けたのは、自分が本当は何者なのかを知りたかったからだった」
 言って彼は、悲しげに笑った。
「あのデータは、嘘でも間違いでもないんだね。そして、私が作られ、これまで育てられた理由は、エデン号とやらを動かすためなんだね。でも……そのエデン号ってなんなの? なんで、その始動キーなんてものが、ユリウスと私の体内にあるの? こっちはいくら調べても、データバンクにもなかったけれど」
「それは――」
 ライラは一瞬、話そうかどうしようか迷うかのように、言葉を切った。だがすぐに、冷ややかに言い放つ。
「猊下は知らなくてもいいことですわ。猊下はただ、エテメナンキの法王としてふさわしい英知と教養、立ち居振る舞いを身につけ、そのようにあって下さればいいだけなのです」
「つまり、あくまでも私は人形だというわけなんだね。……まあいいや。でも、もしそのエデン号を動かすのが、いやだって言ったら?」
 小さく眉をしかめて溜息をつくと、エレンデルは肩をすくめて幾分、からかうように返した。
「あなたに拒否権はありませんわ」
 ライラは相変わらず冷たく言って、小さく口元を吊り上げる。
「それに、おそらくその時には、あなたはいやだとは言わないと思いますわよ」
 謎めいた言葉を残して、彼女は踵を返した。
「それではごゆっくり、猊下。いくばくかは不自由をかけると思いますけれど……それも、ご自分の撒いた種ですから、ご辛抱下さい」
 慇懃に告げると、彼女はそのまま部屋を出て行ってしまう。
 だが、エレンデルはもうその背を呼び止めることもしなかった。
 彼女が出て行ってしまい、一人きりになるとエレンデルは、ようやくベッドの上に起き上がった。改めてあたりを見回し、小さく吐息をつく。
「飾り物の法王が、今度は人形か……。それとも、籠の鳥……かな。どっちにしても、私には自由なんてもうないんだな……」
 呟いてみて、これまでもそれほど自由だったわけではないのかもしれないと、彼はふと思う。
 それまでも、人と会うことや行くことのできる場所など、ある程度制限されてはいたけれど、テレンスとシン・ラウズの件以降、それは顕著になっていた。たとえば、以前は短い時間であっても謁見することが許されていた、各国からの公式訪問者たちとのそれは、今ではグラディアスが行うことになっている。
 《神の塔》上層部の人間たちとは、毎朝ネットでつながれたテレビを中継しての謁見が行われていたし、時には実際に会うこともあった。けれど、話せる時間は短く、たいていはグラディアスが共にいて、簡単な挨拶やすでに終わったことの報告がなされて終了することがほとんどだ。
 それ以外は、グラディアスの報告を聞き、彼が渡してくれたデータや電子書類に目を通すだけだった。
 それは、一見すれば全てを把握しているかのようだが、実際には違う。
 情報はグラディアスによって取捨選択され、彼とその後ろにいるライラが教えていいと判断したものだけが、エレンデルの元に開示されているのだ。
「住む場所が変わっただけで……これまでと、実際にはたいして変わらないってことかもしれないな……」
 低く呟き、彼は自分がここに入れられたことをグラディアスは知っているのだろうかとふと思う。
(もちろん、知っているよね。だって彼はライラにも受け入れられているもの……)
 胸に呟き、彼は小さく唇を噛んでうなだれた。
 苦労の末にパスワードを見つけて閲覧することのできた、あのユリウスのクローンに関するデータ。あのことを、きっとグラディアスも知っていたのだろうと思うと、彼はなんともいえない気持ちになる。
 グラディアスは以前、彼に約束してくれた。
 もう二度と自分に嘘はつかないと。
 けれども。
(実際は、嘘をついていたわけだ。しかも、私の出生に関わる、こんな大事なことを隠していたんだ)
 胸に呟き、彼は思わず両手をきつく握りしめた。
 おそらくそれが、グラディアスの立場上、しかたのないことだったのだろうこともわかる。
 彼はエテメナンキの実務面を一手に取り仕切る大司祭で、《至高天》の面々とのつながりも深い。
 ライラが実質上のエテメナンキのトップであるなら、彼はその補佐を担う一人であると言っても過言ではない。
 その彼が、エレンデルの出生の秘密を知っており、なおかつその当人にさえそれを口外できなかったのは、しようのないことだろう。
 それでも。
 エレンデルの胸には、納得のいかない思いが湧き上がり、黒煙のようにおおい尽くして行く。
 彼はただその思いを、唇を噛みしめ、両手を握りしめて耐え続けていた。

 その数時間後。
 カイエの元に一人の訪問者があった。
 もちろん、すでに真夜中だったこともあり、カイエは自分の部屋のベッドの上でぐっすりと眠っているところだった。だが、さすがに長年の旅と傭兵稼業で鍛えた感覚は、伊達ではない。
 奇妙なざわめきのようなものを感じて、ふと目を開ける。
 ベッドから出た彼女が、ドアへと歩み寄ろうとした時だ。
 そのドアが、音もなく開いて、長身の影が一つ室内にすべり込んで来た。
「誰だ」
 その無駄のない動きに、たちまち隙なく身構えながら、彼女は低い声で誰何する。が、ドアの隙間から漏れて来るわずかな光に、相手が何者かを理解して、彼女はわずかに眉をひそめた。
「おまえ……サディケル?」
「こんばんわ」
 それに答えて、低い声で挨拶したのは、《至高天》第二位リリスの《天使》サディケルだった。
 一見すると、二十代半ばだろうか。長身の体に黒い法衣をまとい、長く伸ばした直ぐな黒髪は後ろで一つに束ねている。目を閉じてはいるが、見えないわけではない。その目に「支配」の魔法が宿っているため、常に閉じた状態で過ごしているだけだ。もちろん、その動きはなめらかで、目を閉じていても支障がないことは明白だった。
「なんの用だ」
 一瞬の驚きが去った後、カイエは尋ねる。
 その主であるリリス同様、彼のこともまったく知らないわけではない。
 かといって、それほど親しいわけでもなかった。
 それにどちらにせよ、今は人を訪ねるような時間帯でもない。
「今日は、ライラの使いで来たのです。あなたを、ラボに招待しろとのことでしてね」
 しかしサディケルは穏やかに、まるで昼間、どこかのサロンででも話しているかのように、用件を告げる。
「ラボへだと? しかも、こんな時間に?」
 カイエはたちまち顔をしかめた。
「残念だが、夜が明けてから出直して来てくれ。私は眠いんだ」
「そういうわけにはいかないのですよ。私の主は穏やかな人ですが、ライラはとても気が短いですからね。それに、あなたが大人しく同行してくれないと、私も実力行使に出ないといけなくなるのですよ」
 そっけなく返す彼女に、サディケルは小さく肩をすくめて言う。
「実力行使だと? この私にか。……おまえ、自分がネメシスより強いと思っているのか?」
 更に顔をしかめながらも、カイエは少しだけ嘲笑の面持ちで問い返した。
 アンゲラはもちろんだが、それ以前の段階でも、ネメシスが他の《天使》たちよりも強いことをカイエは充分に知っていたのだ。それにもちろん、そんなことはサディケルもわかっているはずだった。
 サディケルは、小さく笑って肩をすくめる。
「そんな大それたことは、思っていません。でも、私が実力を行使するのはネメシスにではない。あなたにです」
「同じことだろう。私を攻撃する者を、ネメシスが黙って見過ごすと思うのか」
「もちろん思いませんが――彼女は、私と戦うことはできません」
 言って、サディケルは数歩後ろに下がると、寝室と居間との境のドアを後ろ手に開け放った。
 たちまち、光が射し込んで来て、カイエは思わず顔をしかめて手で目をかばう。だが、実際にはそれは、常夜灯の黄色く絞られた光でしかなかったので、すぐに目が慣れて、彼女は手を下ろした。そして、居間の床に丸く胎児のようにうずくまっているネメシスの姿を見つける。
「ネメシス!」
 異常を感じて思わず叫んだが、ネメシスはぴくりとも動かない。
「彼女に何をした!」
 サディケルを鋭くふり返り、カイエは叫ぶ。
「私と一緒に来たライラの退魔師たちが、魔法でその意識を封じたのです」
 サディケルは言って、部屋の隅――居間の戸口にひっそりと佇む赤い法衣の男二人を顎でさし示した。そして、薄く笑って付け加える。
「おかしなことですね。この世界最強の兵器の中でも最も強いはずのネメシスが、数枚の札で赤子のごとく眠りに就いてしまうとは」
「くっ……! よくも……」
 カイエは、そんな彼を思わず真紅の瞳で睨み据えた。
「さて。一緒に来ていただきましょうか」
 サディケルはそんな彼女に、平然と告げる。
「誰が行くものか!」
 叫ぶなりカイエは、しゃにむにそちらへ殴りかかった。
 だが当然、彼女の拳がサディケルに当たるはずもない。彼は身軽くそれをかわして、彼女の腕を捕らえた。
「生身の人間が、《天使》である私にかなうはずがないことぐらい、あなたも承知しているでしょうに」
「うるさい!」
 呆れたように言う彼に、カイエは懲りずに叫んで足をふり上げる。彼の向こう脛を蹴飛ばし、素早く軸足を変えてもう一方の足でその胴を薙ごうとした。
 向こう脛への蹴りは、かなりの痛みをともなうはずだったが、サディケルは顔をしかめることすらせず、彼女の腕を捕らえたまま、次の攻撃をもう一方の腕で受け止め、かわした。そして、思わずたたらを踏んだ彼女の体をつかんだ腕で引き寄せ、腹に一撃を送り込む。
「ぐっ……!」
 カイエが低いうめき声を上げ、身を折った。その首の後ろに、サディケルの手刀が落とされる。
「……!」
 それで終わりだった。
 彼女は声も上げずに、そのまま昏倒する。
 ぐったりとなった彼女の体を受け止めて、サディケルは小さく吐息をついた。
「まったく……。《天使》に本気で向かって来るとは、いい根性ですよ」
 呟いて、彼女の体を肩に担ぎ上げると、踵を返す。
「そちらの《織天使》は、ライラに命じられたとおり、白虹舎の地下へ閉じ込めておいて下さい。よろしくお願いしますよ」
 居間を出て行きがてら、戸口に待機している二人の退魔師に告げる。
 男たちは、うっそりとうなずいた。
 それを見やってサディケルは、そのままそこを後にした。
 彼がカイエを連れて行ったのは、言葉どおり、ラボだった。
 その中心に建つ中央棟と呼ばれる建物の、最も奥まったエリアにある一室だ。
 さほど大きな部屋ではなく、中央にはベッドが二つ、間隔を開けて据えられていた。ベッドは上半分に透明なカバーのようなものがついており、更に頭の部分にはヘルメット状の銀色のカバーがはめ込まれている。そしてそこから伸びた何本もの細いケーブルは、すぐ後ろに設置されたワゴンの上に乗せられた四角い箱のような装置へとつながっている。
 サディケルがカイエを連れて部屋に足を踏み入れた時、中にはライラとリリスの二人がいた。
 リリスは、一見すると二十七、八歳ぐらいに見える、黒髪と黒い目の長身の青年だった。長く伸ばした髪は後ろで一つに束ねており、黒っぽいシャツの上からは白衣をまとっている。そのせいか、学者めいて見えた。
「ご苦労様。そちらへ寝かせてちょうだい」
 サディケルの姿を見るなり言ったのは、ライラだ。
 サディケルは、黙って肩からカイエを下ろし、彼女が示した奥の方のベッドに横たえる。
「……あまり、手荒なことはしてないだろうな?」
 ぐったりと意識のない彼女を見やり、リリスが軽く眉をひそめて問うた。
「多少やりあいましたが……手加減はしています」
 サディケルの答えに、彼は更に眉をひそめる。
「先に、手当てだ」
「わかりました」
 言われてサディケルはカイエの方へと、軽く片手を伸ばした。低く呟いた呪文と共に、その手から放たれた光が、彼女の腹部と首の後ろを包み込む。
 ややあって、それが体の中に吸い込まれるようにして消えると、彼女は低くうめいて目を開けた。
「一位様……!」
 ライラの姿に気づいて、彼女は思わず身を起こそうとする。それを素早く制したのサディケルだ。
「離せ!」
 押さえつけられた腕を離そうと、カイエは身をもがく。
 ライラはそれへ、どこか楽しげに声をかけた。
「大人しくしなさい、カイエ。……あなたに用があるから、呼んだのよ。でも、その前にまず、話してあげましょう。あなたが、本当は何者なのか」
「私が……何者なのか?」
 意味ありげな彼女の言葉に、カイエは思わず動きを止めた。
 それへライラは静かに歩み寄るとうなずく。
「ええ。あなたの出生について――全て話してあげるわ」
 言って彼女は、赤い唇をゆがめたのだった。