第三章 ライラの野望

眠れる神を屠りしもの 1

【3】
 ライラの意味ありげな笑みに、カイエは眉をひそめた。
「私の出生について、だと? 私は、エレンデルの父の妹が産んだ娘……ではなかったのですか」
「違うに決まっているでしょう?」
 嘲るように笑って、ライラは続ける。
「そもそも、先の法王ユリウスは五千年近く生き続けた人物なのよ? 彼に妹がいたとして、たとえそれが同じほどに長命だったとしても、十七年前にあなたを生むことなんて、できると思う?」
「それは……」
 一瞬言葉に詰まり、カイエは顔をしかめた。
「ずっと若い姿のまま、生きていたのかと思ってました。それに……私の母が先の法王の妹だって、そう教えてくれたのは一位様です。私は、一位様が嘘など言うはずがないと、そう思ってましたから」
「あら、そうなの」
 ライラは再び嘲るような口調で言って、笑う。
「あなたがそんなふうに単純で、私としてはとても助かったのはたしかだけれど……でも、時には人の言葉を疑うということを、覚えた方がいいわね」
 彼女は、相手をじらすかのように一瞬、言葉を切った。小さく目を細めてカイエを見やると、再び口を開く。
「あなたはね、人工生命体なのよ」
「人工生命体?」
 言われた言葉がすぐには飲み込めず、カイエは小さく目をしばたたいて繰り返した。
「そう。……性の営みからではなく、科学によって生み出され、女の子宮からではなく人工の子宮を模したポッドから生まれ落ちた子供――」
 ライラは歌うように言うと、まっすぐにカイエを見据えた。
「あなたはね、私の卵子とラフティの精子を人工的に受精させ、その受精卵の遺伝子に手を加えてこのラボが作り上げた知識の集大成のような存在なのよ」
「なんだ……それは……」
 初めて、カイエの表情が凍りつく。
 そうして、自分を見据えて来る相手をまじまじと見返した。
 白い肌と真っ赤な縮れた髪、そして真紅の瞳。その吊り上った目の形も、鼻も唇も、こうやって正面からよく見れば、自分にそっくりだと、カイエは改めて思う。
 もちろん、自分がライラによく似た外見をしていることになど、彼女はずっと以前から気づいていた。
 けれども、その人が母だなどと、あり得ないともなんとなく思っていた。
 実際には彼女は、ライラが言うほど単純に、自分が先の法王の妹の娘だなどという話を信じていたわけではない。
 先の法王に妹がいたなどという話は、公には語られておらず、ライラたちが言っているのみでもあったし、先程ライラ自身が言ったように、年齢的なこともある。
 だから、本当はきっと違うのだろうとも、漠然と感じてはいた。
 それでも、そうしたことを口にしなかったのは、結局彼女にとってそれは、どうでもいいことだったからだ。
 ラフティとネメシス、アズラエルの三人と共にずっと旅を続けることができれば、彼女にはそれが一番幸せだった。
 自分がどういう生まれであろうが、自分の親がどんな人々だろうが、彼女には関係なかったのだ。
 ただ、漠然と思うことはあった。もしかしたら、ライラもまたその「先の法王の妹」とやらの血縁なのかもしれないと。つまり彼女は、自分の母だと言われている人とライラとの間に血縁関係があるゆえに、これほど自分たちがそっくりなのかもしれないと、考えていたのだった。
 けれどもまさか、自分が人工的に作られた存在だったなどとは、思いもしなかった。
 呆然と呟くカイエに、ライラはどこか楽しげに、歌うように告げる。
「言ってみればあなたは、《天使》たちと似たような存在なの。ただ、彼らと違っているのは、体内にさまざまなセンサーが埋め込まれていたり、彼らのような超人的な力は持たないということね。そう……普通の人間よりも多少は身体能力も高いし、適応力もあって、戦闘に向いた体ではあるけれども。だから、人工的に造られたとは言っても、かろうじて『人間』の領域におさまっているのよ、あなたは」
「つまり……女の腹から生まれていないというだけで、私は普通の人間には違いない、ということですよね?」
 ようやく、いくばくか驚きから覚めて、カイエは問うた。
「そういうことね」
 ライラはうなずき、つと彼女の顔を覗き込む。
「けれど、どうしてわざわざ、そんなふうにして、あなたを造り出したと思って? 私たち――というよりもラボが、ただの好奇心や興味から、そんなものを造るはずもないことは、あなたにもわかるでしょう?」
「それは……ネメシスを見つけて、その主とさせるため、でしょう? だって、私の最初の旅の目的は、それでした」
 カイエはわずかに眉をひそめ、とまどいながらも言った。
「それももちろん、目的の一つよ。でもね、本当はもっと大切な目的があるの」
 答えて、ライラは艶やかに笑う。
「その体を、私の器とするためよ」
「器?」
 言葉の意味が理解できず、カイエは問い返す。
「そうよ、器。――私たちのこの体が、生身のものではないことは、ネメシスの主であるあなたなら、知っているわよね?」
「はい」
 問われてカイエはうなずいた。
 それへ、ライラは続ける。
「そう、私たちの今の体はナノマシンよ。……タナトス人である私たちの本来の肉体は、この星を包む特殊な電磁波には耐えられなかった。だから私たちは、本来の肉体そっくりのナノマシンを作り、それへ人格と記憶を全て移して生きて来たわ。でも、私には生身の体が必要なの。私は、エンリルのパイロットであり《天使》よ。ヘル・アンゲラであるエンリルは、アンゲラよりも更にパイロットとの融合度が高く、パイロットは同時に《天使》ともなるの。だから、アンゲラではパイロットの体がナノマシンであっても問題ないけれど、エンリルではそれは不可能なのよ。……そこで、私は考えたわ。この星を包む電磁波に耐えられる、新しい生身の体を造ればいいんだとね」
 ここまで聞いて、ようやくカイエは彼女が言わんとすることを理解した。
「まさか……」
 低く呟くその目が、大円に見開かれる。
「まさか私の体を……!」
 叫んで起き上がろうとするのを、再びサディケルに押さえつけられ、カイエはもがいた。
「器って、そういうことなのですか? 私のこの体を……!」
「ええ、もちろんそうよ」
 再び艶やかに微笑んで、ライラはうなずく。
「だから言ったでしょう? その体を私の器とするためにあなたを造ったと」
 言って彼女は、楽しげにカイエを見やった。
「ラフティが塔に来るまでも、来てからも、何度も実験を行ったわ。でも、なかなか成功しなかった。受精卵が育たなかったり、ある程度までは育っても死んでしまったり、どうにか乳児にまで育っても奇形だったりとね。そんな中で、さまざまな試行錯誤を繰り返して、ようやくあなたが生まれたのよ。私にそっくりな姿と高い身体能力を持ち、アンゲラとの融合性も高い。あなたはまさに、理想の器よ」
「そんな……そんなこと……」
 カイエは混乱して、小さくかぶりをふる。
 自分が、誰かの肉体の換えになるために生まれて来たなどと、すぐに信じられるはずもない。いや、そんなことなど考えたくもなかった。
 そんな彼女に、ライラが更に何か言おうと口を開きかけた時。
「ライラ、もういいだろう」
 少し離れて、二人のやりとりを見ていたリリスが、声をかけた。
「それは本来、カイエには話す必要のないことだ。精神状態が不安定になれば、おまえの人格と記憶を移す時にも支障が出る」
「そうね。でも……この子がどんな反応をするか、見てみたかったんですもの」
 ライラは赤い唇をゆがめて、小さく笑うと真紅の瞳を輝かせて返す。
「研究者としては悪くない考えだが、この場合は酔狂がすぎる」
 低く吐息をついて言うと、リリスはサディケルに声をかけた。
「サディケル、彼女をおちつかせてくれ。それから、鎮静剤を」
「はい」
 うなずいてサディケルは、閉じていた目を薄く開いた。
「あ……」
 両のまぶたと長いまつげの間から、わずかに覗く金属的な銀色の目と目が合って、カイエは小さく息を飲む。
「大丈夫。何も心配することも、怖いこともありません。あなたはおちついて、安定しています」
 その彼女に、サディケルが低く囁いた。
「何も……心配することも……怖いこともない……。私はおちついて……安定している……」
 たちまちカイエの瞳は焦点を失い、どこか茫漠と彼方を見詰める目になった。唇からは、夢でも見ているかのような呟きが漏れる。
 それを見て取って、サディケルは再び目を閉じた。
 彼女の傍を離れると、部屋の隅の棚の引き出しの一つから、無針注射器を取り出す。アンプルをも兼ねたそれは、最初から必要な薬が中に入った状態になっている。
 彼は再びベッドに歩み寄ると、それをカイエの首筋へと押し当てた。注射器の後ろの部分を軽く押すと、小さく空気の漏れるような音がして、中身が彼女の体内へと流れ込んで行く。
 ほどなくカイエは目を閉じ、ぐったりとなった。
「大丈夫です。脈拍も呼吸も、安定しています」
 その彼女をしばし眺めた後、サディケルがリリスとライラをふり返って告げる。
「――だそうだ。では、そろそろ始めようか」
 リリスは小さく溜息をついて、ライラの方を見やった。
「ええ、お願い」
 言ってライラは、もう一つのベッドに歩み寄ると、自らそこに横たわる。
 それを見やってリリスは、まずカイエのいるベッドの方へと歩み寄った。
 彼がベッドの側面についているボタンを操作すると、上に跳ね上げられていたヘルメット状になった部分が、まず降りて来た。それを、カイエの頭にぴったりと装着させると、再びボタンを操作する。今度は、同じく上に跳ね上げられている状態だったカバーが降りて来て、ベッドに横たわる彼女の上半身をおおった。
 リリスはそれを確認すると、今度はライラのいる方のベッドへと近づく。
 こちらも同じように側面のボタンを操作して、ヘルメットをライラの頭に装着させ、更にカバーを降ろしてその上半身をおおった。
 それが終わると彼は、二つのベッドの頭の側に、ワゴンに乗せて置かれている装置へと歩み寄った。
 さほど大掛かりなものではないが、これは人間の脳からさまざまな情報をすくい上げ、別のものに移すことのできる装置だった。
 とはいえこれは、彼らが開発したものではなく、タナトス星から持ち込んだものの一つだ。
 タナトスでは、彼らがこの星を訪れるずっと以前から、人間の人格や記憶といったものをデータ化してクローンやナノマシンに移行させることのできる技術を持っていた。そして、エデン号にもまた、何かあった時のことを考えて――という名目で、その装置が積み込まれていたのである。
 それぞれの体に電磁波による影響が出始めた時も、彼らはこの装置を使って、今の肉体へと人格や記憶を移し変えたものだった。
 むろん、今リリスが操っているのは、エデン号に積まれていた装置を元にして彼らが新たに造ったものだったが、原理はまったく同じだ。
 ちなみにライラは、人格や記憶を今のナノマシンの肉体に移し変えた時から、いずれはこの星の電磁波の影響を受けない、新しい体を用意することを考えていた。だからこそ、いわば抜け殻となった元の肉体や卵子、そしてエンリルとつながるための、その細胞の一部などを冷凍保存して残してあったのだった。むろん、カイエのために使われた卵子も、そこから取り出されたものだ。
 そして今も、それらはこのラボに保管され続けている。
 リリスとイーヴァはもちろん、最初からそんな彼女の思惑に加担していた。
 リリスが装置の下部に付属しているキーボードを操作すると、二つのベッドは小さくうなるような音を立て始める。やがて、ライラとカイエが装着しているヘルメットが青白い光に包まれ、それは次第にベッドの上半分をおおうカバーへと広がり始めた。
 リリスの指先が、キーボードの上をすべるように動く。
 と、ライラの装着しているヘルメットが、小さく明滅し始めた。そこから装置へと伸びたケーブルに、いくつもの小さな光が灯り、ゆるゆると装置の方へと動いて行く。
 しばらくすると今度は、装置からカイエの装着するヘルメットへと伸びるケーブルに、同じように小さな光が灯り、静かにヘルメットの方へと動き始めた。
 装置がそうやって稼動している間、ライラはなんとも不思議な感覚を味わっていた。
 彼女は光になって不思議な空間を飛んでいるのだ。そこは、もしかしたら、ヘルメットと装置をつなぐケーブルの中であったり、あるいは装置の中だったりするのかもしれない。
 よくはわからないが、いくつもの光が飛び交い、時に稲妻が走り、熱気が吹き上げる、そんな空間だった。
 肉体の感覚がないにも関わらず、それらが吐き出す熱を彼女は肌に感じる。どうしてだか、強い開放感が襲って来て、激しい高揚感に包まれた。
 もっとも、そうした感覚が、さほど長く続かないことを、彼女はよく知っていたけれど。
 なぜならそれは、かつて本当の自分自身の肉体から今のナノマシンの体へと人格と記憶を移す時にも感じたものだったからだ。
 案の定、その感覚はゆるやかに終わりを告げた。
 数瞬、わずかなゆらぎともぶれともつかない感覚があって、ふっと意識が暗転する。
「移行完了だ」
 リリスの静かな声が響き、ライラは目を開けた。
 天井から降って来る光がひどくまぶしく感じて、軽く目をしばたたく。
 歩み寄って来たリリスが、ベッドの側面にあるボタンを操作すると、上半身をおおうカバーが上にあがり、頭部を包んでいたヘルメットもはずされて同じように跳ね上がった。
 自由になったライラは、身を起こす。別の肉体に移ったのだという実感がなくて、つと自分の手や足を眺めた後、その頬に触れ、それから肩にかかる髪を手ですくってみたりした。
 ナノマシンで造られた体同様に鮮やかに赤い髪は、彼女の指先で細かく渦を巻く。ただ、その髪は以前に較べて心持ち短く感じられた。
 彼女はつと、反対側のベッドをふり返る。
 そこには、彼女のものだったはずの、ナノマシンで造られた体が横たわっていた。
 熟れた果実のように豊かで張りのある胸と、つややかな肌を持つ体。真紅の髪は炎のようにベッドの上をおおい、赤いルージュに彩られた唇は艶やかで、それはまさに成熟した大人の女性以外のなにものでもない。
「動いても大丈夫かしら」
 ライラは視線をリリスに移して尋ねる。
「ああ、問題ない」
 うなずくリリスに、彼女はそろそろとベッドから降りて、立ち上がった。
 以前より背が低いせいだろう。目線の位置が幾分下に感じられる。そのかわり、手足には若い力がみなぎり、体が軽く感じられた。そのことが彼女に、新しい体が――それも、この星の電磁波の影響を受けない生身の肉体が手に入ったのだということを、強く実感させる。
 口元が、自然にほころんだ。
「長い間、夢見て来た、生身の肉体よ。私は、やっとそれを手に入れたんだわ。……これでまた、エンリルと一つになれる……!」
 その唇から、歓喜にも似た低い叫びが漏れる。
「おめでとう、と言っていいんだろうな」
 それへ苦笑しつつも、リリスが声をかけた。
「ええ、もちろんよ」
 ふり返り、口元をほころばせたまま答えつつ、ふとライラは首をかしげる。
「ただ、一つだけ訊いていいかしら。カイエの人格と記憶はどうなったの? まさか、残っているとか言わないわよね?」
 それは、移行作業をする以前からの、懸念事項ではあった。
 タナトス星で行われるものもそうだが、基本的にこの装置によって人格と記憶が移行される時、移行先となる新しい肉体は、まっさらな状態なのが普通だ。
 移行先はナノマシンで造られたものだったり、クローンだったり、時には冷凍保存された死体だったりすることもあった。が、なんであれ、最初から人格も記憶も持たないか、そうしたものがすでに消えてリセットされた状態のものに移すのが基本なのだった。
 だが、今回の場合、カイエは生きていて、その人格も記憶も持ったままの状態だった。
 つまりそれは、コンピューターのデータを「上書き」するような作業である。
 これについてリリスは、実際にいくつかの実験も行った上で、問題ないとの判断を下していた。
 理論的に言えば、彼らがやっているこの作業は、古いコンピューターから新しいコンピューターへデータを移行するのとまったく同じことなのだ。その場合、移行先のコンピューターも中古で、前の持ち主が作ったデータが入ったままだったとしても、データを移行すれば「上書き」されて、新しく入力されたデータの方が優先されるようになるのは、当然のことだった。
 ましてや、ライラの持つ一万余年分の記憶に対して、カイエの記憶は、たったの十七年分にすぎない。
 人格は記憶から作られる思考回路と行動パターンの組み合わせであり、当然ながら記憶の分量が多い方が複雑化する。
 もしもカイエの人格と記憶が消えないで残っていたとしても、ライラの記憶の多さと人格の複雑さに飲み込まれ、埋もれていずれは同化してしまうに違いなかった。
 それはちょうど、海面に真水を数滴落としたとしても、なんの変化も起こらず、真水も海水と混ざり合うのと同じようなことだった。
 実験の結果も、そうした彼らの理論を裏付ける結果に終わっている。
 そうしたことは、ライラも事前にリリスから説明されてはいた。
 それでも、彼女には珍しく、ほんの少し不安になったのだ。
 問われてリリスは、小さく肩をすくめた。
「残っている気配はないな。……こちらのモニターで計測できた限りでは、完全に上書きしてしまっている」
 言って、安心させるように付け加える。
「たとえ残っていたとしても、この装置で計測できないほどの数値なら、問題はない。いずれ、おまえ自身の人格と記憶に同化してしまうだろう」
「そう。……それを聞いて安心したわ」
 うなずいて、ライラは再び口元をほころばせた。
 それから、改めて以前の自分の体をふり返る。
「あれは、もう廃棄してしまってちょうだい。……必要ないから」
「ああ」
 うなずいてから、リリスは尋ねた。
「ところで……ネメシスだが、本当に言うことを聞くと思うか?」
「大丈夫よ。カイエの人格と記憶をデータ化して私たちが持っていると言えば、命令を聞かざるを得ないでしょうよ。だって、《天使》にしろ《織天使》にしろ、一番大切なのは自分の主ですもの。違う?」
 小さく唇をゆがめて、ライラは楽しそうに問い返す。
 かつてカイエのものだったその肉体は、外見も容姿も何一つ変わっていないはずなのに、今は明らかに成熟した女のしたたかさと、人を人とも思わない尊大さを漂わせ、誰の目にもカイエとはまったくの別人だとわかる何かを持っていた。
 そんな彼女に、リリスは小さく肩をすくめる。
「それはまあ、そうだろうがな」
 返す言葉に、わずかに心配げな気配が見えたのは、ネメシスが一筋縄ではいかない相手だと理解しているゆえだろう。
 だが、ライラはそんなことなど気にするふうもない。
 以前よりもなおさっそうと、靴音も高く踵を返すと、そのままドアの方へと向かうのだった。