第四章 ニエベスの秘密会談

眠れる神を屠りしもの 1

【2】
 中央の舞台に立って、ラナはその場にいる人々を見回した。そして、静かに口を開く。
「ライリアが女王と共に海に沈んだ後、私はこちらにいるランドルフ殿より、女王ネイジア殿からのメッセージの入ったUSBメモリーを渡されました。ネイジア殿はそのメッセージの中で、先程こちらのお二人が話してくれた、ライラ殿たちがこの星に送られた本当の事情と共に、現在世界を席巻している恐ろしい現象についての事実を語っていたのです」
 そう前置きして、彼女は語り出した。
 現在、世界中でひそやかに起きている普通の人間の突然の妖魔化と、妖魔化した者が死後、悪霊化する現象のことを簡単に述べ、それが「月の民」の多い地域で頻発していることを付け加えた後、彼女は核心を口にする。
 問題なのは、遺伝子なのだと。
 タナトス星からやって来た人々の体は、この彼らがヒプノスと呼ぶ惑星を包む特殊な電磁波に耐えられない。だから、この星で日々を送るうちに肉体は徐々に蝕まれて行き、ある日突然、急速に進む老化と共に内臓を中心として体中の細胞が破壊され、瀕死の状態に陥るのだ。もちろん、そのまま放置すれば、さほど長くない時間の果てに死に至る。
 だからこそ、ライラたちはその本来の肉体を捨て、ナノマシンで造られた模造品の体へと人格と記憶を移し変えたのだ。
 「月の民」は、ライラたちがこの星の人類を造り上げた時、タナトス人の遺伝子を元にして造ったものだ。
 死んだ者、生き残った者の別なく、同じ宇宙船に乗り組んでいた者たちの遺伝子から培養された、いわばクローンが「月の民」の始祖なのである。
 もちろんライラたちは、彼らをこの星を包む特殊な電磁波の影響を受けないよう、遺伝子操作を施したはずだった。また、その後の他の民たちとの混血により、その度合いは更に強まっているはずでもある。
 それでも。長い時間を経るうちに、「月の民」の中に潜むタナトス人たちの遺伝子は、ゆるやかに電磁波に蝕まれて行ったのだ。
「――つまり、この現象は、私たちの肉体に『月の民』の遺伝子がある限り、起こり続けるというわけです」
 ラナが、ひどく静かに、淡々とした口調で、そう話を締めくくった。
 だが、誰も声一つ立てる者はいない。
 彼女の話は、それほどに衝撃的な内容だったのだ。
 もちろん、クライやラフティ、ラザレスらは、その件についてもすでに知っていた。それでも、改めてラナの口から詳しく聞かされると、なんとなく黙り込んでしまう。
 ゲヘナ大陸はもともと「地の民」と呼ばれる、髪や目の色、肌の色などの雑多な種族の多い土地ではある。アニエスなどは、褐色の肌と黒髪、黒い目の者の多い国で、そのせいか妖魔化・悪霊化はたとえばクラリスなどに較べるとずいぶんと少なかった。
 一方、西ゲヘナやマリアは、《大戦》終結直前に起こった地殻変動で住む場所を失った人々が移住して作った国だ。つまり、クラレシア帝国やレムリア王国の人間を祖先に持つ人々が多いということである。それはすなわち、国民の多くが、「月の民」の遺伝子を保有している確率が高いということでもあった。
 そもそも、ここに集まっている者たちは全員が、「月の民」の遺伝子を色濃く受け継いでいるに違いない。
 それを思えば、彼らがラナの話に言葉も出なかったのは、無理もないことだった。
「……つまり、何か。あの現象は、止める手段も治す方法もないということなのかね……?」
 ようやくそう尋ねたのは、ルロイヤ十五世だった。もっとも、その声は低くかすれて聞き取りにくく、どこか呟きのようでもあったけれど。
「ライリアで使われていた、バリヤーの原理を応用した装置ならば、妖魔化の進行を多少は抑えることができるようですわ。けれど、今のところは、完全に止めることは無理のようです。もちろん、一度妖魔化・悪霊化した者たちを、元に戻すことも」
 ラナが、小さくかぶりをふって返す。
「なんということだ。……つまり我々は、ただ自分の国の民たちが、妖魔や悪霊と化して行くのを黙って見ているしかないというのか……」
 ルロイヤは、どこか呆然と呟いた。
「しかし……そんなばかなことが……」
 同じくかすれた声で呟いたのは、ジョージ・カッシーニだった。
「だって、我々はもう長い間、この地上で生きて、生活して来たわけでしょう? それなのに、いきなりそんな……」
「いえ。いきなり、ではないのだそうですわ」
 その呟きに、ラナが穏やかに答えた。
「フラナガンには、アニエス商会の協力で創設された医術師たちの研究室があります。それほど大きなものではありませんが、そこでは薬学や病理学を中心とした研究が行われています。そこの者たちが言うには、メタモルフォもまた、なんらかの外的要因による遺伝子の変質――突然変異による病なのだそうです」
「つまり、メタモルフォもまた、その特殊な電磁波の影響によるものだと?」
 驚いたように尋ねたのは、ラフティだった。
「ええ、おそらくは」
 うなずくと、ラナは続けた。
「……以前は、メタモルフォを引き起こす外的要因がなんであるのか、彼らも特定はできていませんでした。この星を包む特殊な電磁波のことなど、彼らは門外漢ですからね。ですが、テレンス・リリシアの話で、もし本当にそんな電磁波がこの地上に降り注いでいるとすれば、それが一部の遺伝子に影響を与えることも、あり得なくはないだろうと。まだ、仮説の段階でしかないようですけれども」
「……なるほど。なかなか興味深い話だが、この状況では、あまり、楽しいとも思えないものではあるな」
 力なく肩をすくめて、ルロイヤが言う。
 その時だった。
 部屋の扉が控えめにノックされて、開いたドアの隙間から、ラナにしたがって来ていた尼僧衛士の一人が顔を出した。
「教母様。申し訳ありませんが……アニエス商会の会長から、大至急にと携帯通信端末機に連絡が入っておりまして……」
「ルゾから?」
 ラナは小さく目を見張って問い返す。
 携帯通信端末機を持参しては来たものの、それを尼僧衛士らに預けたのはむろん、大事な話の最中になるべくならば外部とやりとりしたくないという思いがあったからだ。
 なによりルゾならば、端末機に出たのが彼女当人でないこと、重要な会議中なので直接出られないことを聞かされれば、後ほど改めて連絡して来るか、あるいは伝言を残すかするはずだった。
 だが、逆に考えれば、そんな彼が無理を押してまで直接話したいと言うのは、よほど重要な用件があるということでもあった。
 彼女はすぐにそれに気づいて、うなずいた。
「わかりました。そちらに行きます」
 尼僧衛士に答えて立ち上がり、ラザレスたちには断りを入れて、そのまま部屋を後にする。
 それを見送って、後に残された者たちはなんとなく不安げな顔を見合わせた。
「……それにしても、こんな話をラナ殿はよく、これまで自分一人の胸に収めて来たものだ」
 ふと気づいたように、ルロイヤが呟く。
「ライリアが滅んでから、半月……。さほど長い時間ではないが、かといって一人で抱え込むには、大きすぎる秘密ではある」
 そうして彼は、ランドルフを見やった。
「貴殿はこのことを?」
「はい。……女王が亡くなられる前に、伺っておりました。ですが、女王が秘密を託されたのは、教母様でしたので、私もまた、その決定に従うつもりではおりました」
 言って、ランドルフはラザレスをふり返る。
「陛下が、あのように話をふって下さって、よかったと思います。教母様はずっと、この事実を公表されるか否かで悩み、苦しんでおりましたので。私も、一度はそれを発表することを託されたものの……結局、公にすることはできませんでしたし」
「本当に自分の発言の重さをわかってる人間なら、悩むのはあたりまえのことですよ」
 ラザレスはそれへ、小さく肩をすくめて言った。
「俺も、伯母上からこのことを聞かされた時には、心底驚いたものですからね。でも、だからこそ、この事実はみなさんとは共有するべきだと、この半月で思うに至ったんです。だって、アニエスやフラナガンだけの問題じゃない。世界規模の話なんだ。それを、伯母上やボレロ殿や俺だけが抱え込んで悩むというのは、おかしいじゃないですか」
「若いというのは、いいことだな。……そのように、まっすぐに物事を考えられるというのはな」
 ルロイヤが、わずかに笑みを見せてそれへ返す。
 話すうち、少しずつ聞かされた事実の大きさによる衝撃から立ち直り、意欲を取り戻し始めたようだ。
 そこはさすがに、長年一国の最高権力者としてさまざまな事象に対処し続けて来た人間だけはあると言うべきだろう。
 そこへ、席をはずしていたラナが戻って来た。
 いったいルゾ・アニエスはどんな話をしたものか、出て行った時とは違い、彼女の頬には鮮やかに血の色が射して、瞳にも強い輝きが見えた。
 彼女は、入って来るなり言った。
「朗報ですわ」
「どういうことですかな? このような場にいるあなたと、あえて直接話したいと言うからには、よほど重要なことだったのだろうが……」
 ルロイヤが尋ねる。
「妖魔化・悪霊化に対するワクチン開発の目処が立ったというのです」
 ラナの言葉に、その場の人々は思わず顔を見合わせた。
「それでわざわざ、連絡を……?」
 ランドルフが、目を見張って呟く。
「ええ、そのとおりですわ」
 うなずいて、ラナは言った。
「なんでも、ライリアで開発されていた抑制装置の原理がヒントになったのだそうです。――人間をはじめとして、動物も植物も、体から微量の電磁波を発生させているのだそうですが、それの性質を変えて、この星を包む特殊な電磁波の影響から、人体を守るよう働きかけることができないかと、アニエス商会の研究室では考えたそうですわ」
 それは、《神の塔》のラボで、リリスとイーヴァが考えているものと、まったく同じ方向性に立ったものだった。
「つまり、遺伝子の変質を抑える薬ではなく、人体が発している微量の電磁波の性質を変える薬を開発することになった――というわけですか?」
 そう問うたのは、ずっと黙ったままだったラフティだった。
「ええ、そういうことです」
 ラナはうなずき、彼らを見回した。
「目処さえ立てば、開発そのものには、さほど時間はかからないでしょう。殊に、この人体が発する微量の電磁波については、アニエス商会ではもともと、ドアロックなどの認証システムに使用する目的で、以前からさまざまな研究を行っていたそうですから、データも豊富にあるとのことですし」
「おお、それなら心強い」
 ルロイヤが、安堵の色を見せてうなずく。
 今では世界規模の企業であるアニエス商会だが、それでもその恩恵を最も強く受けているのは、本社のあるマリアなのだった。ルロイヤ自身も、ルゾ・アニエスをはじめとするレネ・アニエス家の人々との親交は深く、その研究室がエテメナンキやクラリスのそれと較べても遜色ないほど優秀だということは、よく知っている。
 彼の言葉に、ジョージもようやくその面にわずかに喜色を浮かべた。
「そのワクチンが完成すれば、我々は闇雲に妖魔化・悪霊化を恐れる必要はなくなるのですな?」
「ええ、そういうことです」
 ラナはうなずき、改めて彼らを見回す。
「ただ――この妖魔化・悪霊化の原因に関する真相は、まだ当分の間……そう、ワクチンが本当に開発されて、量産され、どこの国でも簡単に手に入るようになるまで、ここにいる私たちだけの機密とする方が、無駄に人々の不安を煽り、恐慌を引き起こさずに済むと思うのです」
「それは……」
 言われて、彼らは顔を見合わせた。
 だが、ややあってルロイヤが口を開く。
「たしかに、ラナ殿の言われるとおりですな。それでなくとも今現在、世界には不安の影が落ちている。これ以上、その人々の不安を助長し、あえて恐慌を起こすようなことをする必要はなかろう」
「そうですな。……打つ手が何もないならともかく、いずれワクチンが開発されるだろうことがはっきりしているならば、事実を発表するのは、それからでも遅くはない」
 ジョージもうなずいた。
「それにおそらくは、我々が口をつぐんでいれば、人々は勝手に全てがエテメナンキの仕業だと誤解してくれるのではないのかね?」
 ルロイヤが、幾分面白そうにラザレスにともラナにともなく問うた。
 しかし、答えたのはラフティだった。
「ええ、そういう面はあるでしょうね。殊に今回の、ライリア滅亡が間接的にはエテメナンキのせいであるというボレロ首相の出された声明は、テレンス・リリシアのそれともあいまって、人々にエテメナンキの恐ろしさ、得体の知れなさを印象付けたと思いますからね」
「ふむ。ならば、このままエテメナンキに悪者になっていてもらおうじゃないか。もとより、まったくの真っ白というわけでもない組織なのだからな」
 ルロイヤは、小さく肩をすくめて返す。
「それと、《至高天》筆頭のライラ殿を止めるために、宇宙船の修復が終わる前にエテメナンキを力づくで解体するという話だが――それについては、私はやはり賛成できないな。たしかに彼女はこちらが筋を通したとしても、それを理解する相手ではないとは私も思う。それでも、話し合いもせずにいきなり力づくというやり方には反対だ。しかも、そこにはエテメナンキを信仰する国々を敵に回すかもしれないという、大きな危険もある。先程ジョージ殿も言ったように、マルガレーテなどは、それをいい口実に、すぐにでも他国に侵攻を開始する可能性はおおいにある」
「だが、ライラを止めなければ、この星は確実に滅ぶんだぞ」
 幾分憮然として言ったのは、クライだった。
「だとしても、宇宙船の修復自体はまだ終わっていないのだろう? ならばまだ、時間はある」
 ルロイヤはそちらをふり返ると言って、続けた。
「むろん私は、君たちに協力しないと言っているわけではない。これはそもそも、一個人にのみ任せておいていいような問題ではないからな。ただ、止める方法については、もう少し話し合い、策を練る必要があると言っているのだ」
「殿下のお言葉も、もっともですね」
 何か言いかけるクライを軽く制して、ラフティが口を挟む。
「ただ、わかって下さい、殿下。ライラという女は、殿下や他の方々が考える以上に一筋縄ではいかない、恐ろしい人間です。いえ……正確には、彼女こそがこの星を今あるような形に整え、このような世界と成した《神》だと言っていい。そして彼女は、とんでもなく無慈悲な――人のためでも、この世界のためでもなく、ただ己の意志のためだけに行動する、そういう神なのです。我々が相手にしなければならないのは、そういう存在なのですよ」
 淡々とした言葉の中に奇妙な現実味を感じて、ルロイヤたちは思わず顔を見合わせた。
 考えてみれば、今こうして集まった中に、実際にライラと顔を合わせたことのある者は、クライとラフティの二人だけなのだ。いや、おそらくケルピムも会ったことはあるだろうが、二人ほど頻繁に言葉を交わしたことはなかっただろう。
 ルーフを国教とする国々の上層部の者たちは、どうしてもエテメナンキとは疎遠になりがちだった。
 また、エテメナンキ側にしても、各国との外交は基本的には外務省の仕事と心得ている。なので、各国の政府へ実際に顔を出すのは、外務省から出向する大使たちか、せいぜいが外務省長官を務める大司教といったところだった。
 マルガレーテやクラリスであれば、時には大司祭が応じることもあるだろうが、《至高天》が対応することは稀だっただろう。おそらく、ライラと直接会えるのは、クラリスの皇帝ぐらいだったに違いない。
 もちろん、例外はある。三百年前、ライリアからの使者たちは《神の塔》で直接ライラと会見し得た。だがあれは、独立戦争のさなかのことでもあり、ライラの方でも彼らがなんらかの取引をするために来たのだと察したゆえだった。
 ともあれ。
 実際にライラに会ったことのないルロイヤたちには、たしかにクライやラフティの言うことは今一つピンと来ない話ではあった。
 そんな人々を代表するように、ラナが口を開く。
「たしかに、私たちはライラ殿に実際にお会いしたことはありません。ですから、その人となりも正確には知りません。けれどそれはそれとして、私たちは自分の国の民たちの生活や命を守らねばなりません。リスクの多い行動を、軽々しく選ぶわけにはいかないのです。……それは、わかっていただけますわね?」
 そうして、彼女は続けた。
「具体的に、どんな方法を取るかは、これから話し合って行けばいいのではありませんか? たしかに、それほど長い時間が残されているとは私も思いませんが……かといって、私たちの意見がバラバラのまま、見切り発車しても、いい結果になるとは思えませんわ」
「ええ。……それにたしかに、こちらが力づくで行けば、周囲からも力づくの抑止力が働くでしょうから、それに対する策は万全に講じておく方がいいとは、私も思います」
 ラフティも、真摯なまなざしで彼女を見返すと、うなずいて言った。
「やれやれ。大変なことになったものだな。……だが、それなら、そう言ったこともこの場で話し合う方がいいだろう。極秘裏にとはいえ、あまり何度も会談を持っては、いずれは他国にも知られ、あれこれと腹を探られることにならんんとも限らんからな」
 小さく溜息をついて言うと、ルロイヤは意見を求めるように人々を見回す。
「殿下の言われるとおりでしょうな。……こうした会合は、そう何度も持てるものではない」
 ジョージがうなずいた。
 ランドルフとラナもうなずく。
 それを見やって、ルロイヤはラザレスに視線を向けた。
「わかりました。では、この場で具体策を話し合うことにしましょう」
 ラザレスはうなずくと、先程から黙って成り行きを見守っていたロベルトをふり返った。
「ロベルト、おまえが進行役を務めてくれ。俺がやると、自分の意見を言えなくなるし、会議を無意識に自分に都合のいい方に誘導しないとも限らん」
「わかりました」
 うなずいてロベルトは、他の者たちを見回す。
「私が話し合いの進行役を務めさせていただきますが、それで異議はございませんか」
「まあ、妥当なところだろう。かまわんよ、進めてくれ」
 ルロイヤが鷹揚にうなずいた。他の者たちも、同じようにうなずく。
 それを見やってロベルトは、「では、よろしくお願いします」と頭を下げた。そして、ラザレスたちに着席するよう促す。
 うなずいて、舞台上にいたラザレスとクライ、ラフティ、それにケルピムの四人が、思い思いに空いている席に着いた。また、ルゾ・アニエスとの通話から戻って、立ったまま話していたラナも、元の席へと腰を下ろす。
「それでは、具体策についての会議を始めたいと思います」
 それを見やって、ロベルトが宣言した。