第四章 ニエベスの秘密会談

眠れる神を屠りしもの 1

【4】
 その夜。
 夕食を終えた後、かつてはラザレスが両親や双子の妹と共に家族の団欒を持つためによく使っていたゆったりとした居間の一つに、クライたちはいた。
 クライとラフティ、ラザレスとラナ、そしてケルピムの体を借りたマニの五人である。
 唐草模様を装飾的にあしらった高い天井と壁に囲まれた部屋は、壁の高い位置に採光用の窓が切られ、色硝子がはめ込まれており、天井からはそれだけでも美術品的価値がありそうな、美しいシャンデリアが下がっていた。
 部屋の中央には、背の低い大理石のテーブルが据えられ、その周囲にゆったりとしたソファが何脚か置かれている。五人はそこに、思い思いに腰を下ろしていた。
 テーブルの上には、五人のためのカーヴァーのカップと、甘い砂糖菓子や小さな焼き菓子を盛った皿が置かれ、更に鮮やかなラーギアの花が彩りを添えている。
「そういえば……ラフティ殿は、以前お会いした時に連れていた方々は、どうされましたの? 赤い髪の少女と、その《天使》だという漆黒の肌の女性は」
 しばし、たわいのない話に花を咲かせた後、ラナがふと思い出したようにラフティに訊いた。
「カイエとネメシスのことですか?」
 ラフティは、少しだけ驚いたように問い返したものの、肩をすくめて答える。
「《神の塔》ですよ。……私は塔の外でライラに命じられた任務を遂行中に、女王から連絡を受けたのです。ですから、彼女たちをは、塔に置いたままなのです」
「まあ……」
 ラナが小さく目を見張る。
「できれば、彼女たちをも塔の外に連れ出したいのですけれどもね」
 ラフティは言って、小さく吐息をついた。
「きっと、カイエも今ごろは事情を知って、驚いているんじゃないかと思いますし」
「それはどうかな。ライラのことだ。カイエには何も教えないように工作するんじゃないか?」
 言ったのはクライだ。
「あの女にとっては、ライリアの滅亡も、おまえがライリアからの人質だったことも、カイエには教えたくないことのはずだ。そもそも、俺が塔に追われる身になったことも、おまえが俺を連れ戻すために塔を出たってことも、彼女には教えてなかったんだろう?」
「ええ。……ですが、ネメシスは全て知っていますからね」
 うなずいて、ラフティは返した。
「私はネメシスには、あまり隠し事ができないんです。……彼女は私にとっては、母――ではないですが、そう、伯母とか年の離れた姉とか、そんな感じなものですからね」
「カイエってのは、俺がレネ・アニエス家の廟で会った、あの生きのいい嬢ちゃんのことだよな?」
 マニがそれへ尋ねる。
「そうです。……ずっと小さいころから、私が親代わりを務めている子供です」
 言って、ラフティは小さく口元をゆがめると、幾分皮肉げに付け加えた。
「遺伝子的にも、私の子供ですけれどね。私と――ライラの子供です」
 彼の発言に、ラナとラザレスは驚いたように顔を見合わせる。マニは、険しく顔をしかめた。
「おいおい。そりゃ、いったいどういうことだ?」
「ラフティ。わざわざそんな、驚かせるような言い方をしなくてもいいだろうが」
 幾分憮然とした問いを発するマニを見やって、クライがげんなりと言う。
「本当のことですよ?」
 ラフティはしかし、涼しい顔だ。
 そんな彼に、クライは小さく肩をすくめると、マニたちをふり返った。
「言葉どおり、遺伝子的な話なんだ。カイエは、人工生命体なんだよ。《神の塔》のラボで、リリスとイーヴァによって造り出されたんだ。その基礎の受精卵を生み出すために、ラフティの精子とライラの卵子が使われた。それだけの話だ」
 だが、マニたちにとっては、「人工生命体」そのものが未知の存在である。ラナとラザレスは再び顔を見合わせ、マニは更に鼻をしわめた。
「人工的に人間を造るなんざ、さすがは《神の塔》と言うべきだな。……命を、おもちゃにしてるみたいに聞こえるぜ」
「ライラにとっちゃ、この星の人間の命なんざ、本当におもちゃでしかないだろうからな」
 嫌悪感のこもったマニの言葉に、クライも肩をすくめて答える。
 それへ、何を思ったのかマニは尋ねた。
「まさか、そんな研究に、おまえやグラディアスが、関わってたとか言うんじゃないだろうな?」
「直接関わっちゃいないが……完全に真っ白、とも言えないな」
 クライは言って、幾分苦い笑いを口元に浮かべる。
「俺はラフティと共に、カイエがネメシスを探すのを手伝ったことがあるし……グラディアスは、もう一人の……先の法王のクローンの育成に関わってる。それに俺たちは、そうしたことを知りながら、ただ黙って見ているんだ。実際に研究に携わっていなくても、似たようなもんだ」
「あそこでは……しかたのないことですよ」
 慰めるように、ラフティが口を挟んだ。
「ライラに逆らえる者は、誰もいないんですから」
「それはそうだがな。……だが、俺とグラディアスは、自ら望んであそこに行き、ライラたちのやっていることを黙って見ていたんだ。あいつらと同罪だよ」
 クライは皮肉げに言って、肩をすくめる。
「なるほどな。だが、いったいなんで……」
 言いかけるマニを軽く遮るように、ラナが眉をひそめて口を挟んだ。
「待って下さい。今、先の法王のクローンと言いましたけれど……それはまさか……」
「ああ。今現在、法王を名乗っているエレンデルのことだ」
 クライがうなずく。
「それでは、先の法王の子供というのは……」
「もちろん、嘘だ。というか、本来の素性を隠し、エレンデルが法王の位に就くのを正当化するための、方便ってやつだな」
 軽く目を見張って呟くラナに、クライは更に言った。
「でも、どうしてまた、そんなことを……?」
 問われてクライは、肩をすくめる。
「テレンスが言ってただろ? 先の法王は、ずっと昔にネイジアらと共にライラに逆らった。だが、体内にエデン号の始動キーが埋め込まれていて、命を奪うことができない状態だった。だから、心身の自由を奪って《神の塔》の奥深くに閉じ込めてあったんだ。……だが、そろそろエデン号の自己修復が終わる時が近づいて来た。動かすためには始動キーが必要だが、先の法王は彼女らの言うことは聞きそうにない。だから、クローンを造って、自分たちに従順になるように育てたってわけだ」
「なんてことでしょう……」
 理由を聞かされ、ラナは更に目を見張った。
「とことん、自分たちのためだけに物事を動かしているんだな」
 マニが、嫌悪に顔をしかめながら吐き捨てる。
「だから言っただろう? ライラは、そういう女なんだよ」
 クライは言って、吐息をついた。
「俺が塔を出た時には、エレンデルは何も知らないままだった。……今はどうなってるかわからないが……少なくとも、ライラやグラディアスの方から、この事実を彼に教えるってことは、あり得ないだろう」
「話を聞けば聞くほど、ひどい女だな」
 小さく溜息をついて言ったのは、先程からずっと黙って彼らの話に耳を傾けていたラザレスだった。
「しかし、頭は悪くない女なんだろう? だったら、ネイジア殿のメッセージ映像を見せれば、こちらの話が本当だということぐらいは、理解してくれるのじゃないかな」
「理解はするかもしれませんが……それと、これまでずっとそのためにさまざまな実験と時間を費やして来た計画を取りやめるかどうかは、別の問題だと思いますよ」
 ラフティがそれへ返す。
「彼女の中にあるのは、母星への強い怒りと憎悪だと思いますからね」
 呟くように言って、彼は小さく吐息をついた。
「ともあれ、カイエをネメシスと共に塔から連れ出すことができればと思ってはいますが……なかなかそれは難しいでしょうね。ライラは、どちらも最大の戦力だと考えているでしょうし」
 言って彼は、つとラナとラザレスを見やる。
「他の方々は、あくまでも平和裡に話し合いをして、それでだめなら初めて武力を行使する――という考えのようですが……そしてもちろん、そう決まったからには、私も極力その決定には従うつもりです。ただ……私が《神の塔》内で、カイエたちを取り戻すために動き、その際に戦闘になってしまうかもしれないことは、あなた方には許容いただければと思うのですが」
 言われて、ラナとラザレスは顔を見合わせた。
「それはまあ……しかたがないだろうな。相手が攻撃して来たなら、そこは、正当防衛ってことで」
 ラザレスが、軽く天井をふり仰いでから言った。
「俺としては、伯母上に危険さえなけりゃ、ライラって女との話し合いは別として、あんたはあんたでやりたいように動いてくれていいと思うぜ」
 にやりと笑って、付け加える。
「そう言っていただけると、ありがたいですよ」
 ラフティもそちらを見やり、小さく笑って返す。
 そんな彼を見やって、クライが口を挟んだ。
「カイエを連れて来るなら、俺も一緒に行った方がいいんじゃないか」
「だめですよ」
 しかしラフティは、即座に告げる。
「ライラは、できればあなたとウリエルを取り戻したがっているんですよ? そんな所へのこのこ出て行ったら、相手の思うツボじゃないですか。それに、私とあなたが二人して教母様の護衛だなんて、あちらを警戒させるだけですよ」
「それはそうだが……」
 クライは言いさして、言葉を濁した。
 ラフティの言うことはもっともではあるが、彼とアズラエルの二人だけで、ラナの護衛とカイエとネメシスを連れ出すのと両方ができるとは、さすがに思えない。いや、他の国相手ならばなんとかなるかもしれないが、敵は《神の塔》なのだ。下手をすれば、ラフティたち自身も捕らわれる危険性さえあった。
 そんな彼にラフティは、安心させるかのようにやわらかく笑いかける。
「大丈夫ですよ。私は、与えられた任務はかならずきっちりとこなしますから。それに、ネメシスは、動けさえすれば、こちらの味方ですよ?」
「……わかったよ」
 彼がこんなふうに言う時は、絶対に考えを変えることはないと、クライも長年のつきあいで理解している。しかたなくうなずいて、ただ小さな吐息を漏らした。
 そんな二人のやりとりを見やって、ラザレスがふと思い出したように話題を変える。
「ところで伯母上。例のワクチンのことですが――実質、どのぐらいの期間があれば、完成するものなのでしょう? ルゾ殿は、そのあたりをなんと?」
「今のところはまだ、目処が立ったとだけしか……」
 問われてラナは、小さく首をかしげながらも答えた。
「理論的なものが完成し、方向性が定まれば、ワクチンそのものが作られるのはそう時間はかからないでしょうね。ただ、実際に売り出すためには、臨床実験も必要でしょうから、できたからすぐに発表、発売というわけにもいかないとは思いますわ」
「だろうな。特に今回の場合、事態は深刻だ。これで完全だとなるまでは、安易にワクチンのことを公表するわけにもいかんだろう」
 難しい顔で言ったのは、マニだ。
「とにかく、試作品なりができたら、今日集まった五カ国から、少しでも多くの患者をアニエス商会本社へ送り込んで、臨床実験をやってもらうしかないだろう」
「そうですわね。……その旨は、ルゾに連絡して、逐一報告してもらうように話しますわ」
 ラナがうなずく。

 やがて、重い話題と雑談を取り混ぜたその部屋での時間は過ぎて行き、そろそろ日付が変わりそうなころに、彼らはそれぞれの部屋へと引き取って行った。
 ラザレスは今夜はここで泊まって、明日の朝、ラナの帰国を見送ってから城へ戻る段取りになっている。
 クライとラフティ、それにケルピムの三人も、ラザレスと共に城へ戻る予定だった。
 ちなみに、ここへはウリエルとアズラエルは来ていない。
 クライとラフティの部屋は、主殿の一画に向かい合った位置にあった。
 それを見た時には、ラザレスの配慮に思わず苦笑したものだが、こうやって連れ立って部屋に戻れるのは、悪くないとクライは思う。
 部屋の前で立ち止まり、ラフティがクライをふり返った。
「もう少し一緒にいたい気もしますが……今日はさすがに疲れました。今夜は大人しく、眠るとしましょう」
「ああ」
 クライもそれには同感だったのでうなずき、軽く両肩を抱いてくちづけて来る相手に応える。
 が、人の気配に気づいて、軽く眉をしかめた。
 身を離してふり返ると、そこにはケルピムの体を借りたマニの姿がある。
 マニは、少しだけ困ったような顔をして、あらぬ方を眺めている。
「何か用か?」
「せっかく、久しぶりにゆっくり話す機会ができたから、飲まないかと思ったんだが――」
 クライが問うと、マニは手にしたボトルを小さく掲げて言った。
 クライとラフティがアニエスに来て、すでに半月になるが、王城内ではマニと話せる機会は少なかった。
 マニ自身、あまり長時間ケルピムの体を占領できないという制約もある。が、それ以上にマニがこんな形で生きていることは、極秘のことでもあったので、彼が表に出た状態では、あまり人の多い場所で大手をふっていられないというのもあった。
 おかげでクライとマニはまだ、一緒に酒を酌み交わしたこともなければ、クライがなぜ《神の塔》へ行くことになったのか、詳しく話したこともなかったのだった。
 もちろん、クライがウリエルを得た顛末などは、外郭としてはマニも知っている。
 だが、そもそもなぜ画家だった彼が筆を折って賞金稼ぎになどなったのか、そしてなぜ、ジブリールの仇といってもいいエテメナンキの総本山である《神の塔》に住む気になったのか、心情的な理由については、いっさいマニはまだ聞かされていなかったのだ。
「……そうだな」
 マニの言葉にクライもうなずくと、ラフティには軽く手をふって踵を返す。部屋のドアを開け、マニを招き入れた。
「おまえ……クワイアス殿と……」
 部屋に入るなり、マニは少しだけためらう口調で尋ねる。
「まあな」
 クライは、曖昧にうなずいて、部屋の中央に陣取るテーブルを囲むように置かれた椅子を示した。そうして、自分は部屋の隅の棚へと、グラスを取りに行く。
 テーブルの傍に戻ると、手にしたグラスをそこに置いて、クライはマニの向かいに腰を下ろした。
「なるように、なったわけだ」
 グラスに提げて来たボトルの酒を注ぎ分けながら、マニは独り言のように呟く。顔を上げると、妙に懐かしげな表情で、笑みをこぼした。
「なんだ?」
「いや。……昔のことを、思い出したのさ。おまえがまだ画家をやってて、俺とグラディアスはルーフの近衛隊にいて、グラディアスがおまえとクワイアス殿のことを嫉妬したりしてた、あのころのことをさ」
「ああ……」
 言われてクライもうなずく。それは本当に、彼にとってはまるで夢の中の出来事のようにも思える、しかし忘れがたい時代のことだった。
「グラディアスは、どうしてるんだ? その……」
 マニが言いさして、言葉を濁す。その顔には、「まさかまだ、おまえを恋慕してるのか?」と言った問いが、ありありとにじんでいた。
 クライは苦笑して返す。
「今は恋人がいて、その意味では幸せそうだよ」
「そうか」
 ホッとしたように、マニはうなずいた。
「なら、よかった。……あいつがどこに行ったのか知らない間、いや、知ってからも、俺は本当言うとずっと気になってたんだ。俺たち三人の中で、実際にはあいつが一番脆いというか、危うい奴だったから、誰か傍にいて支えてくれるような人がいればいいのにってな。俺にはエメライン――女房がいたし、子供たちもいて、だからなんとかやって来れた。けど、あいつには、そういう人がいるんだろうかって……。だから、それを聞いてホッとしたよ」
「おまえ、そんなふうに思ってたのか……」
 クライはグラスを口元に運ぼうとしていた手を止めて、小さく目を見張る。が、すぐに苦笑した。
「らしいといえば、らしいがな」
「なんだよ、それは」
「いや」
 苦笑しつつもクライはかぶりをふって、グラスを口元に運ぶ。
 そんな彼を見やって、マニは訊いた。
「それよりも、おまえのことだ。……クラリスで、宮廷画家をしていたのが、急に失踪したと聞いた時は、本当に心配したんだぞ。それがなんで、《天使》を連れて《神の塔》にいたりしたんだか……」
「ヘンリーが死んで、またかと思ったのさ。お袋もジブリールも、俺を守るために死んだ。いや、ジブリールは厳密には俺だけを守ったわけじゃなかったし、死んだわけでもない。けど、その時の俺は、俺をかばって死んだヘンリーのことと、お袋やジブリールのことが、重なって見えたんだ。三人とも、俺なんかよりずっと価値のある人間だったのに、俺みたいな奴を守るために死んだってな」
 クライは、一口グラスの中身を喉に流し込むと、苦々しい口調で言った。
「あのころの俺はバカだったから、自分に力があれば、三人を死なせずに済んだんだって思っちまったんだな。それで、クラリスを逃げ出して、ラグナイト鉱の採掘現場の鉱夫になったんだ。とにかく、体力をつけたかったし、クラリスの皇帝に見つからない場所へ行きたかったからな」
 そうして彼は、ちびちびとグラスの中身を舐めながら、これまでのことを語る。
 採掘現場での恐ろしい日々と、そこから彼を救い出してくれたフェイとの出会い。彼の勧めで賞金稼ぎになったこと。ウリエルとの出会いや、《神の塔》からの誘いを受けるに至った出来事などを。
 マニは、時々質問を挟みながらも、黙って彼の話を聞いていた。
 クライはそれを、不思議と心地良いと感じながら、話し続ける。
 今でも、過去の出来事のいくつかは、思い出すたびに彼の胸をえぐらずにはいなかった。また逆に、年月が過ぎたからこそ、冷静に考えられることも、また笑ってすませられることもある。
 そうしたことを、こうやって改めて一から言葉にして誰かにじっくりと聞いてもらうのは、彼にとっても初めてのことだった。
 だが、意外とそれは心地良く、なぜだかちらかっていた部屋の中をきっちりと整理整頓して行くにも似た不思議な快感を与えた。
 クライはただ過去を語り続け、マニは黙って話を聞く。そうやって、ただ夜は更けて行くのだった――。