終章 神の目覚め

眠れる神を屠りしもの 1


 アニエスの都ニエベスで、五カ国の首脳らによる極秘の会談が持たれた日から、数日後の午後。
 グラディアスは、七耀しちよう殿の中央に位置する白虹舎の地下へと続く階段を、いささか重い足取りでたどっていた。
 三十分ほど前、彼は大司祭としての仕事の最中に、いきなりライラに呼び出されたのだ。そして、エデン号がとうとう自己修復を終えたことを告げられ、命じられた。
「これから、リリス、イーヴァと共に地下へ降りるわ。あなたは、エレンデルを連れて来てちょうだい」
「エレンデルを? なぜまた……」
 思わず眉をしかめる彼に、ライラは言った。
「あの子がいなければ、エデン号のハッチは開かないのよ。タナトスの船はね、敵の進入や乗組員の造反をふせぐために、船長がいないとハッチが開かない仕組みになっているのよ。始動キーも船長の体に埋め込まれているし……文字どおり、あの子はエデン号を動かすための重要な鍵なのよ」
「だったら、自分で連れに行けばいいだろう。私はいやだ。今更、どんな顔をしてエレンデルに会えと言うんだ」
 グラディアスは、更に顔をしかめて返す。
 彼にもむろん、あの後、エレンデルが自分自身の出生について知ってしまったことは知らされていた。
 それは、彼の中になんともやりきれず、そしていたたまれない思いを生んでいる。
 二度と嘘はつかないと誓っておきながら、嘘で塗りかためた言葉を口にし続けて来た彼だったが、その中でもエレンデルの出生に関するそれは、まさに最大のものだったと言っていい。
 彼はずっと、ライラたちと口裏を合わせて、エレンデルに、先の法王の息子だと言い続けて来たのだ。
 それがそうではないことが当人に知れてしまった今となっては、合わせる顔などないと思う。
 だが、そんな彼にライラは平然と肩をすくめて返した。
「エレンデルは、あなたの管轄よ。それに、私が連れに行くにしても、どっちみちあなたも私たちと一緒にエデン号の傍まで行くのだから、同じことでしょう?」
「それは……そうかもしれないが……」
 グラディアスは言いかけて、深い溜息をついた。
「わかったよ。……どこへ連れて行けばいいんだ?」
「この居間よ。この奥に、直通のエレベーターがあるわ」
 言われて、彼は軽く目を見張る。
「大切なものは、自分が常にいる場所に――か」
「そういうことね」
 小さく笑って答えると、ライラは行けというように、軽く手をふった。
 それへグラディアスはわずかに顔をしかめつつ、ライラの居間を後にしたのだった。そうして、そこからそのまま、エレンデルが閉じ込められている地下の一室へと向かっているのである。
 人気のない銀色の廊下を一人、黙々と歩いて行きながら彼は、カイエの体を手に入れて以来、ライラの尊大さがよけいに増したようだと考えていた。
 カイエの体となったライラと初めて対峙した時には、さすがに彼もいささか混乱したものだった。
 カイエが、最終的にはエンリルのパイロットとするために生み出された存在であることは、彼も知っていた。そもそも、ライラたちが人工生命体を造り出す実験を繰り返していたのはそのためだったし、そうした実験の内容については、ここに迎えられた最初に彼も教えられていたからだ。
 だが、まさかカイエの肉体をライラのものとするとは、思ってもいなかったのだ。むろん、今まで聞かされたこともなかった。
 ただ、これまでのライラのエンリルへの執着ぶりと、そのパイロットは生身でなければ受け入れられない仕様になっているという事実を考えれば、そうした可能性に今まで気づかなかった方が、どうかしていると言えば、言えたけれども。
 とはいえ、その驚きや混乱もすぐに消え、彼も今では彼女のその姿をごく当たり前のように受け入れている。それはもちろん、若くなっただけで外見自体はほとんど変わっていないことも関係しているに違いなかった。
 だが一方では、今のように以前と少し変わったと感じる部分もあった。
(それともそれは、外見が子供になったせいだろうか……)
 ふと、そんなことを胸に呟く。
 カイエ自身も、口の利き方はぞんざいだったが、それでも目上の者相手には、敬語を使おうと努力している様子は見受けられたし、塔の外で大人とも対等に渡り合う生活をしていたのだからしかたがないと思える部分もある。
 だが、ライラの尊大さは筋金入りだ。
 そもそも、世界広しと言えども、彼女に逆らえる人間自体が皆無なのだから、それも無理はない。
 とはいえ、十七の少女に見下した目で見据えられ、顎で使われるのは気分のいいものではなかった。
 更に、彼女にも言ったとおり、エレンデルにどんな顔をして会えばいいのだろうと考えると、その足は自然と重くなり、表情にも暗い影が射さずにはいられなかった。
 それでも彼は、やがて目的の部屋へとたどり着く。
 固く閉ざされた扉の脇にある小さなパネルに軽く手を触れると、小さな電子音がして扉の表面が明るくなり、そこに映像のキーボードが現れた。
 ちなみに扉脇のパネルは、DNA認証システムだった。触れた皮膚からDNAを読み取り、システムに記録されているものと照合されれば、今度は扉のパスワードを入力するためのキーボードをこうして映写してくれるというわけだ。
 彼は浮かび上がったキーボードを操作して、ライラにあらかじめ教えられていたパスワードを入力して行く。
 やがて再び小さな電子音が響き、扉が開いた。
「猊下」
 中に足を踏み入れ、グラディアスは思わず小さく眉をひそめながら声をかける。
 室内は薄暗く、明るい廊下から入って来ると、一瞬どこにエレンデルがいるのかを見分けることさえできなかったのだ。だが、相手にはむろん、こちらの姿は見えているのだろう。
「猊下なんて呼ぶな」
 深い怒りを込めた低い声が返る。
「猊下、聞いて下さい」
 グラディアスは、ようやく薄暗さに慣れ始めた目で、エレンデルの姿を捕らえてなおも声をかけた。
「猊下なんて呼ぶなと言っている」
 再びそれへ、鋭い声が返る。
 エレンデルは、部屋の隅に置かれたベッドの上にいた。そこに、どこかふてくされたように腰を下ろし、グラディアスの方を青白い炎の宿る目で、見据えている。
「あなただって、知っているはずだよ。私が先の法王の息子なんかじゃないってことも、ただの飾り物にすぎないんだってことも」
「それは……」
 思わず言い訳を口にしそうになって、グラディアスは唇を噛みしめる。
「……申し訳ありません」
 ややあって、彼は頭を垂れた。
「別にいいよ。今更あなたに謝ってもらったところで、何も変わりはしないからね」
 エレンデルはそれへ、むっつりと返す。
「それで、なんの用なの?」
「猊下を、お迎えに参りました」
 問われてグラディアスは、頭を垂れたまま言った。
「迎え? 飾り物の私に、今度は何をさせようというのさ」
 小さく首をかしげ、エレンデルはどこか嘲笑するように、また問うた。
 それへグラディアスは、どうしたものかとしばし頭を垂れたまま考え込む。だが、結論はすぐに出た。エデン号のあるこの《神の塔》の地下深くへ共に降りるのであれば、どちらにしても、事情を説明しないわけにはいかないのだ。ただ、とりもなおさずそれは、彼に対しては二度と嘘をつかないと誓ったその口で、すでに自分がその誓いを破っていたことを暴露することでもあったけれど。
 それでも、何も話さないままではきっと、彼は動いてくれないだろうともグラディアスは思う。
 顔を上げると、グラディアスは言った。
「以前、フラナガンからテレンス・リリシアの名で出された声明の内容を、覚えておいでですか」
「覚えてるよ。以前と言っても、そんなに昔のことじゃないし」
 答えて、エレンデルは小さく肩をすくめる。
「たしか、ライラたち《至高天》と、先の法王ユリウス、それにライリアの女王ネイジアの五人はよその星からやって来た異星人で、今の人類を作ったとか、妖魔や悪霊も彼女たちの実験の失敗作だったとか、そんな内容だったよね」
「はい」
 うなずくと、グラディアスは言った。
「それは全て、本当なのです」
 きっぱりと言いきられた言葉に、さすがにエレンデルも目を見張った。
 だがすぐに、その口元に皮肉げな笑みが浮かぶ。
「たしか、あの声明が発表された後、あなたと話した時には、全部でっち上げだとか言ってたように思ったけれど?」
「あの時は……猊下に真実をお話しするわけには行きませんでしたので、そのように否定しました。ですが本当は、あれは全て事実なのです」
 言ってグラディアスは改めて、ライラたちが一万年前、はるか遠くの惑星から宇宙船でこの星へやって来たこと、その宇宙船が大気圏内突入と同時に異常を起こし不時着・大破したこと、宇宙船の自己修復が完了するまで一万年もの時が必要だったことなどを簡潔に語った。そして告げる。
「その宇宙船、エデン号がようやく自己修復を終えたのです。ですが、船の中に入るためには、その船の船長がいないとだめなのです。そして、先の法王ユリウス様こそが、エデン号の船長でした」
 どこか呆然と、信じられないような顔つきで彼の話を聞いていたエレンデルは、それでも必死で驚いていないふりを取り繕おうとしていた。グラディアスの最後の言葉に、こわばった顔をどうにか笑いにゆがめる。
「つまり、先の法王のクローンである私が必要だというわけか。……こんな時だけ、私にお願いしに来るわけだね。ところで、訊いていい? その先の法王はどうしたの? 本当に、死んでしまったの?」
「それは……」
 グラディアスは、思わず言葉に詰まって唇を噛む。
 エレンデルにこんな顔をさせてしまう自分の言葉に、嫌悪感が湧いた。皮肉に対して返す言葉もなく、その問いには当然、答えられなかった。そして、そんな自分に更に嫌悪と苛立ちを募らせる。
「申し訳ありません。ですが、来ていただかないと、おそらく……」
「次はライラが力づくで連れに来る、というわけだね」
 エレンデルはなおも皮肉げに言って、乾いた笑い声を立てた。
「本当に、ここでは全てが彼女の思うままなんだね。そして、誰も彼女に逆らえない。――まあいいよ。私だって、わかっているもの。彼女に逆らったってしかたがないってことぐらい。それに……」
 言いさして彼は、少しだけ言い淀んだ後、続けた。
「ガブリエルの件の時と同じだ。私は、あなたに腹を立てているのに、それ以上に嘘をつかれていたことが辛いんだ。そして、あなたを困らせたくないとも思ってしまう……」
「猊下……」
 驚いて、グラディアスはそちらを見やる。
 そんな彼を見詰め返して、エレンデルは言った。
「ここに閉じ込められて、何もすることがないし……いろいろ、考えていたんだ。私はたぶん、あなたのことを肉親――きっと、父親のように思っているんじゃないかって。本当はそうじゃなかったけど、先の法王が父親だって言われていた時から、そっちは全然ピンと来なかった。映像でしか見たことなかったし……何かそう……映画とかドラマとか、そういうのに出て来る人みたいな感じだった。一方、あなたに対しては……侍従たちや、テレンスが聞かせてくれた肉親に対する気持ちに近いものを持ってるんじゃないかって、そんな気がした」
 そこで言葉を切って、彼は苦笑する。
「本当は、自分でもよくわからないんだ。……でも、私は本当に、あなたを困らせたくないと思ってる。だから、行くよ。ライラは、私がここで行かないとダダをこねたら、あなたを叱るんでしょう?」
「猊下……」
 そんな彼を、グラディアスは改めてまじまじと見やった。
 だがやがて、耐えられなくなって顔をゆがめると、再び深々と頭を垂れる。
「申し訳ありません。……あなたに、そんなふうに言わせるつもりなど、なかったものを……」
 ややあって、顔を上げると続けた。
「ライラの元へ行く前に、もう一つ、お話ししておかなければならないことがあります。ライラのことですが……彼女は今、カイエ様の姿となっております」
「それは……どういうこと?」
 エレンデルは、言われた意味が理解できなかったのだろう。眉をひそめて問い返す。
「ライラたちの母星には、人間の人格や記憶をデータとして別の肉体や電子機器に移し変えることのできる技術があります。ライラたちが、本来の体をこの星を包む特殊な電磁波の影響で失った後も、ナノマシンで造った肉体で生き続けることができたのは、その技術があったからです」
 グラディアスはそれへ、できるだけ淡々と答えた。
「ライラは今回、その技術を使って、カイエ様の体に自分の人格と記憶のデータを移し変えました。ですから、外見はカイエ様ですが、実際にはライラなのです」
「……カイエは、そのために生み出された者だったってこと? 彼女が私のいとこだっていうのも、嘘だよね?」
 エレンデルは、低く押し殺した声で問う。その声は、わずかに震えていた。
「はい。……彼女は、ラボで実験によって生み出された人工生命体でした」
「そうか」
 うなずくグラディアスに低く答え、エレンデルはライラがなぜガブリエルを使ってまで、自分がカイエに恋することを阻止しようとしたのか、ようやく理解したと思った。
 先の法王ユリウスのクローンである自分と、ライラの新たな体とするべく生み出された人工生命体のカイエ。それぞれ役目があって生み出された者が結びつき、その役目を放棄することを、ライラは危惧したのだろう。それにまた、陳腐でもあるとエレンデルは思う。クローン人間と人工生命体の恋だなどとは。
(もっとも、カイエは私のことなど、最初から眼中になかったけれどもね)
 胸に呟き、エレンデルは初めて彼女と会った、即位式の日のことをおぼろげに思い出した。
 彼女は、初めて会う同年の子供が珍しくはあるようだったが、それよりもラフティの傍にいたいようだった。一緒にいる間も、何かというと彼のことばかり話していたような記憶がある。何より、彼が姿を現した時の、あの花のほころぶような笑顔と来たら。
(……どうして、忘れていたんだろうな。私は、あの笑顔に魅了されたんだった。でも同時に、この子はこの人が好きなんだってわかって、がっかりもしてたじゃないか)
 そう。それは、子供心にもはっきりと、彼女が誰を想っているのかが、わかってしまうような笑顔だったのだ。
 それから十一年が過ぎて、エレンデルの中にはもう、彼女への想いはなく、ただ友人としてずっとこの《神の塔》にいてくれればうれしいと考える相手になっていた。
 カイエの方も、ラフティへのそれは肉親への情のようなものへと変じているらしいことが伺えた。
 たぶんこれからは、互いに友人として、いい関係でいられるのだろうとエレンデルは考えていたのだ。だから以前、グラディアスにも彼女をずっと塔においてもらえないかと口にした。
(けどあれも……望んではいけないことだったんだな……)
 胸に呟き、エレンデルは小さく唇を噛みしめる。なぜだか鼻の奥がつんと痛くなって、涙が出そうだった。それをこらえようとして、思わずしかめっつらになる。
「猊下……」
 そんな彼を、グラディアスが心配げに見詰める。
「大丈夫だよ。……わかったから。ライラを見ても、取り乱したりしないよ」
 しかめっつらのまま、エレンデルは言った。そして、そろそろ行こうと促すように、ベッドから降りる。
 グラディアスは何か言いたげだったが、黙って彼がこちらへ来るのを待って、一緒に部屋を出る。そのまま、黙って廊下を歩き出した。

 グラディアスがエレンデルを伴ってライラの居間に戻ると、そこにはすでにリリスとイーヴァの二人も顔をそろえていた。
「全員、そろったわね。じゃあ、行きましょうか」
 ライラは彼らを見回すと、居間の奥の小部屋へと向かう。
 そこは、普段は彼女が着替えのために利用している、いわゆる衣装部屋だった。壁一面が全て棚になっている。その一画には、ハンガーに吊るされたドレスやスカート、ブラウスなどがずらりと並んでいた。もちろん、閉まっている棚の中身も、衣類や靴、カバン、アクセサリーなどだ。別の一画には、化粧のための空間があって、大きな三面鏡つきのドレッサーと、座り心地の良さそうな椅子が据えられている。
 そんな中、ライラがまっすぐに向かったのは、ドレスなどがハンガーに吊るされて並ぶ一画の一番奥に設置された姿見の前だった。それはもちろん等身大で、彼女が自分の全身を何かおかしなところがないか、じっくり点検できるようになっている。
 彼女はその姿見の中央に手を触れ、何事かを低く呟いた。
 途端。鏡は真ん中から二つに割れて、左右にスライドして行く。そこに現れたのは、もう一つの扉だった。
 彼女がその扉の中央に手を触れ、また何かを呟く。すると、その扉も左右にスライドして開いた。
「これが、地下へ向かう直通のエレベーターよ。さ、乗って」
 グラディアスらをふり返って言うと、ライラは先に立って中へと乗り込む。グラディアスたちも、後に続いた。
 中に入ってみると、なるほどそれはエレベーターらしく、戸口の傍に小さな押しボタンがついていた。ただしそれは、扉の開閉のためのものと、上昇と下降のためのものしかなく、階数を指定するための数字キーはない。
「このエレベーターは、ここと《神の塔》の地下、千五百ルキアドに位置するエデン号のための施設とをつないでいるわ。高速で降りるから、三分程度で到着するわよ」
 ライラが言った。
 それはおそらく、グラディアスとエレンデルのための説明なのだろう。考えてみれば、リリスとイーヴァは当然、このエレベーターの存在も、地下に隠されたエデン号のことも知っているはずなのだから。
 それに気づいてグラディアスは、軽く目をしばたたいた。
 ライラの言葉どおり、エレベーターは下降ボタンを押されてほどなく、到着を知らせる小さな音と共にかすかな浮遊感を残して止まった。扉が開き、グラディアスたちは外へと歩み出る。
 エレベーターの外は、煌々とただ白い光に包まれ、白い壁と高い天井を持つ広々としたホールだった。人の気配はなく、空気は驚くほど冷たかった。
「ここに降りるのは、ずいぶん久しぶりだな」
 イーヴァが、低く呟くように言った。
「ああ。……ユリウスを拘束して以来だから、約四千年ぶり……か」
 リリスも同じように、低くうなずく。
「では、四千年間、一度もここへは……?」
 二人の言葉に、グラディアスは少しだけ驚いて尋ねた。
「ああ。中の様子は、ラボでモニターできるようにシステムを組んであるからな。それに、どっちみちここへ降りて来ても、船の中には入れないからな」
 うなずいて言ったのは、リリスだ。
「おまえも、エンリルの映像を以前に見たことがあるだろう?」
「ああ」
 問われて、そうだったとグラディアスも思い出す。
 それはもう、三百年も前のことだ。彼がラボの研究員となって間もないころ、ライラから見せられたのだった。
 彼女は、グラディアスが寝物語に聞かれるまま語った、神が何者かを知るために《神の塔》へ来たのだという言葉を、覚えていたのかもしれない。
 ともあれ、その時見た姿は、今も鮮明に思い出せる。
 それは、禍々しくも美しく、壮麗なものだった。
「さあ、行くわよ」
 そんな彼らに、ライラの先を促す声が響く。彼女はそのまま先頭に立つと、靴音も高らかに歩き出した。
 広々としたホールを出て、短い廊下を進んだ先に、小さな銀色の扉が立ちふさがっている。
「ここからは、あなたの出番ですわ。猊下」
 足を止めたライラが、エレンデルをふり返って言った。
 彼は黙って扉の前に歩み寄ると、「どうすればいいの?」とライラに尋ねる。
「扉に触れればいいのですわ。それだけでこの船の船長が来たと認識して、扉を開いてくれます」
 答えるライラに、彼は黙って扉の表面に触れた。
 たちまち、彼女の言葉どおり、扉が音もなく開く。
 リリスとイーヴァが、それを見て、なんとなくホッとしたように顔を見合わせた。
「行きましょう」
 ライラが、エレンデルの背中を押すようにして、中に足を踏み入れる。他の者たちも、後に続いた。
 ライラはそのまま、ためらうふうもなく歩き出した。後に従いながら、リリスがグラディアスと――そしてエレンデルのためにだろう、ここがどんなふうに造られているのかを、説明する。
 それによれば、あのエレベーターを降りてすぐの広いホールの部分が、宇宙船をここに埋めた後に彼らが付け足した部分なのだそうだ。宇宙船は当初、地上に剥き出しのままだった。が、この星の天候や動植物などによって、自己修復機能がさまたげられる可能性もあると判断した彼らは、なんとか無事だった工作機械とネメシスに作業させ、宇宙船を地下深くへと埋めたのだ。その際に、地上から出入りする時の便宜を考え、あのホール部分を宇宙船の入り口に添う形で建造したというわけだった。
 やがて彼らは、その場所の上に《神の塔》を造り上げるわけだが、それはまた別の話である。
 そんなことを話しながら歩き続けるうち、彼らは一つの部屋へとたどり着いた。そこは、この船のメインブリッジらしい。広々とした室内には、階段上に五つの席が並び、更に壁から伸びたアームで支えられた席が三つほど、空中に浮かんでいる。
 ライラに命じられて、エレンデルが戸口から見て一番奥に一つだけ離れた席へと歩み寄ると、そのコンソールパネルの一画に触れた。
 たちまち、前面の巨大なモニターやあたりの計器類に明かりが灯る。
 それを見回し、リリスとイーヴァが二手に分かれて、てきぱきと計器類のチェックを始める。
 ややあって、リリスが言った。
「船内のどこにも異常はない。完全に修復は終了している」
「あと必要なのは、飛び立つためのエネルギーだけだな」
 イーヴァが付け加える。
「そう。……とうとう、私たちはここを出て行くことができるのね」
 ライラが、真紅の瞳を輝かせて呟いた。その頬は、さすがに紅潮している。
 その彼女が次に向かったのは、船の格納庫の一画だった。
 そこに、エンリルが眠っていた。
「これが……エンリル……」
 グラディアスは、どこか呆然とそれを見上げて呟く。
 たしかにそれは、はるか昔に映像で見せられたそれと同じものだった。
 真っ白な狼のように見える頭部には大小六本の角が生え、背中には同じく白い六枚の羽根がある。全身を包む純白の装甲には細かな美しい模様が刻まれ、華奢で装飾的な印象を与えた。
 ヒプノス製のアンゲラの三倍以上ある全長は、人間の目からはまさに「神」と呼ぶにふさわしく見える。
「エンリル……ようやくこの日が来たわ。私はここよ。エンリル……!」
 それを同じように見上げて、ライラはどこか陶然と叫んだ。そのまま、両手を掲げると、何かグラディアスには意味のわからない言葉を口走る。
 と。彼女の首筋――耳に近い一画に、シミのような青白い光が灯った。
 それは、ライラの人格と記憶がこの肉体に移されてほどなく埋め込まれた、エンリルの細胞の一部だった。これによって彼女は、エンリルと心をつなげ、人でありながら《天使》という存在に、なったのだ。
 同時に、エンリルの目にも、ぽっと赤い光が灯った。額にはめ込まれた、目とも飾りとも見える縦長のそれから、青白い光が放たれる。それが、ライラの体を包み込んだ。そのまま、彼女の体をその額の縦長のものの中へと吸い込む。
 途端、エンリルの両の目の光が更に強くなり、額のそれにも赤く強い光が灯った。
 だらりと下がっていた両の腕が、天をさし示すかのように掲げられ、六枚の翼が大きく広がる。狼を思わせる頭部が、天井をふり仰いだ。
 それと同時に、その口から、獣の咆哮のような高く凄まじい声が放たれた。
「神が……目覚めた……」
 そう低く呟いたのは、エレンデルだったのかグラディアスだったのか。
 時に、神聖暦五〇〇〇年十の月半ば。
 それは、一万年の長きに渡って眠りに就いていた神が目覚めた、まさにその瞬間だった――。